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エマ通信

2015.08.26

映画「バケモノの子」感想文 エマ中学三年 間々野升太亜

先日話題の映画、「バケモノの子」を
ママと二人で鑑賞してきました。
セル画(今もそんな言い方するのかな?)も
とても見易い日本人的な繊細なタッチだし、
声優さんのキャスティングも申し分ないし、
ストーリーも神話の世界観をうまく
現代の感覚とミックスさせて描けており、
涙と笑いとアクションのバランスも良い、
なかなかの秀作でした。

バケモノの世界とニンゲンの世界と両界ともに
町があって、暮らしがあって、
みんなにそれぞれの持ち場があって働いて、
学んで、修行して、関わりあって、
一見何の変哲もない営みが続く世界同士なわけです。
そのバケモノの世界に
突如ニンゲンの子供が紛れ込むところから
物語が始まります。
9歳の時に来たので九太と名付けらた少年。
最初、ニンゲンは厄介者という理由で
バケモノ世界から敬遠されるのですが、
バケモノ界の宗師様からの特別の計らいで
受け容れてもらえます。

その後素行は悪いが武術の達人の師匠熊徹の下、
必死の修行を積み重ねて、いつしか
師匠をも凌ぐ程の腕前の立派な青年へと成長します。
青年期を迎えた九太は、いつしか自分の本当の居場所を
探し求めて、二つの世界を行き来するようになります。

バケモノの世界→異形の者達が不器用に暮らす世界。
ニンゲンの世界→洗練された世界に不器用に暮らす者達の世界。

さて、両界の違いは何か?

バケモノの世界は、自然界そのものの象徴のように
思われます。
自然は厳然たる秩序や掟のある厳しい世界であると同時に
調和と美の保たれる場所でもあります。
そこに住まう者達の姿形は異形でも
心は純真で素直と言えます。
熊徹にしても粗野で言いたい放題ではあるけれど
純真で熱い心の持ち主です。
そして宗師様には絶対服従を貫いています。
熊徹の好敵手である猪王山(いおうぜん)にしても
礼儀を常にわきまえる道士です。
また次男の二郎守(じろうまる)などは、
弱い奴は嫌い、強い者には相手がたとえ人間であれ
無条件で敬服し迎え入れる裏表の無さを持ちます。
そんな中、ニンゲンは「心の闇」を持つ存在として
描かれています。

バケモノ界で宗師を勤め上げると
天界に転生する特権を得ることが出来るという。
すなわち自分の望む神に成る事が出来る。
ニンゲンにはどうやらそういう特権が
与えられていないようなのですが、
ところが、ニンゲンがひとたび「心の闇」に
吸い込まれて荒ぶれてしまったなら、
神様さえも手に負えない厄介な魔物と化す。
いわゆる「祟(たた)り神」に。

「心の闇」=「情念」、とマスターは解釈するのですが、
それはすなわち、「喜怒哀楽の刻印」であると。
家出をして渋谷の街をうろついた幼き日の蓮(九太)が
呟いた「みんな嫌いだ!」という胸の叫びは
念となって刻印され、いつまでもその場に止まっていました。

ニンゲンとバケモノの一番の違い、それは、
ニンゲンは心に闇を溜め込む存在であるという点です。

ここで一歩踏み込んで
「では、何故ニンゲンは心の闇と向かい合わされるのか?」。

それはきっと、遠い遠い神代の昔。
まだバケモノとニンゲン界に境目が無く
共に仕合わせに暮らしていた時代のこと。
神様は実は背負いきれぬ闇の世界を抱えておられました。
時折闇と向かい合っては苦しげに嘆かれる神様を
見るに見かねたバケモノとニンゲンは相談します。
「神様の苦痛を何とかして差し上げられないものか」と。
相談の結果、ニンゲンが闇の部分を受け持つ事となったのです。
闇を受け持つとは命懸けの覚悟を伴う事。
世界は快楽原則のみでは成り立っていないことを
まざまざと知る道。
この時よりニンゲンには、本当の本質の人生の闘いの道が
始まったのです。
心の闇を克服する為の永い永い歴史路程が始まったということです。

マスターは、そんな風にイメージしました。

たぶんニンゲンは誰しもが、
そもそもの心のグランドデザインとして
闇を仕組まれて生まれてくる。
その闇をどう攻略し克服していくのかこそが、
人生の大切な取り組みとなります。
ただし、その克服は独りきりで成すのではなく、
独りで出来るものでもなく、
お互いに補い合って初めて可能となるテーマです。
ですから、ニンゲンの行く道は過酷である分、
この世界からの期待もとてつもなく大きい
という結論になります。
世界の調和はニンゲンにかかっているということです。
神様から闇を託されたその時からその使命の難しさの故に、
人は助け合うことの尊さを学ぶのです。
或いは、それを克服できた時、
人間は神の事情と心情をわきまえた
神の真の子となり得る。
ですから、人間はそもそも神に成る必要がないと
マスターは解釈します。

世界の調和と平和は、自然を含めた他者との補い合いの中で
実現が可能となります。
人間と自然が信頼関係を切り結ぶことさえ出来たなら、
自然は、例えば九十九神(つくもがみ)となって人間を護る。

「ニンゲンよ祟り神となることなかれ。
心の闇に立ち向かえ。
神の真の子女となれ。」

これがマスターが読み取る
この作品からのメッセージです。

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