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エマ通信

2016.03.02

エマ通信2016年3月号 (創刊93号)

「酒と泪と英五と仲間たち」

大阪生まれの偉大なフォークシンガー、河島英五さん。
昭和世代の方ならば、
「酒と泪と男と女」、「野風僧」、「時代おくれ」等の楽曲で
ご存知の方も多いことでしょう。
英五さんを知る最初のきっかけをマスターに持ち込んだのは、
クラスメイトの新井永吉君。
お互いにエレキギターかぶれの中学二年生でした。
ある日の土曜日、永吉君がいきなりマスター宅にやって来て息巻くには、
「おい永勝(えいかつ→マスターの名前)、すごい奴(英五さん)がおるねん!」と。
そして、手に持つレコードを見せつけて、
「こいつすごいねん!泣き叫びながら歌いよるねん!
兎に角こいつの歌一回聞いて欲しいねん!」。
とまぁすごいテンションで上がり込んで来たものだから、
ほな聞いたろうやないかと、
4曲入りのレコードをステレオにセットして
一緒に聞きました。
それは河島英五のホモサピエンス時代の音源で、
「酒と泪〜」、「天秤ばかり」、「何かいいことないかな」と、
初期の代表作が収められたレコードでした。
聞き終えて若かりしマスターの感想は、
全くピンとこなかった、と言うのが正直なところでした。
ただ印象は鮮明で、「河島英五」と言う名前は
深く記憶にとどまることとなります。

次に英五さんのことを印象付けられたのは、
高校一年の秋の頃。
これまたクラスメイトの谷和彦君が、
それまで影の薄い存在でしかなかった彼が(ゴメンね^^;)、
生徒会主催の秋の音楽祭にいきなり登場して、
視聴覚教室の舞台でたった一人ギターをかき鳴らし
全曲河島英五で弾き語るという
情熱のステージを目の当たりにしたからなのでした。
谷和彦の衝撃のデビューステージ。
これはマスターにとってあまりに鮮烈な出来事で、
まさか彼がこんなに歌える奴だとは思ってもみなかったので、
完全にノックアウトされてしまいました。
そしてその時に熱く思ったのは、
彼を音楽でサポートしたい!と言うことでした。
そんな経緯があって、
彼との伝説のユニット「サバイバルランド」が結成される事となります。
高校の3年間、谷君と全力を投入して音楽に没頭、卒業と同時に解散。
谷君は音楽の道に、マスターは進学と、
それぞれの道を歩むこととなります。

卒業後の谷君ですが、京都音楽祭という新人発掘コンテストに
一人で挑み見事優勝。
その副賞として、
彼のオリジナル曲が収録されたドーナツ盤が
京都レコードのクレジットの下、制作されたのでした。
その当時の京都レコードに所属していた歌手が
やしきたかじん、あのねのね、そして河島英五さんでした。
それ以後谷君は、英五さんの付き人として歩み始め、
そのご縁は英五さんが亡くなるまで続きます。
一介の英五ファンだったに過ぎない高校生が
あれよと言う間に憧れの人のすぐ側で仕事をするようになるなんて、
人生の巡り合わせは妙なるものです。

歳月は流れて、マスターも一時期、
英五さんのマネージャーとして活動をしていたことがあります。
そのご縁を紡いでくれたのはもちろん谷君でした。

時は、1995年。
この年は、1月に阪神大震災、3月には地下鉄サリン事件と、
世を揺るがす出来事が続いた年でもあります。
そして神戸の復興に向けていち早く英五さんが取り組んだ
チャリティイベントが、「復興の詩(うた)」でした。
このイベントは最低10年はやるねん!と言う英五さんの言葉通り、
10回にわたり続けられました。
ただ残念ながら、第7回目を前にして英五さんご本人は、
2001年4月16日に逝去 されました。享年48歳。

英五さんの回りは、いつも素敵な仲間たちで溢れていました。
そんな英五さんを囲むかつての仲間たちと、
最近、再会する機会がとても増えています。
谷君との十数年ぶりの再会も昨年のこと。
彼とは、そんなブランクを越えて今再び音楽活動を再開しています。
そして、今月19日(土)は、「酒と泪と英五と仲間たち」と題して、
河島英五トリビュートライブを行います。

出演は、谷君とマスターと
そしてかつて英五さんをパーカッションでサポートした、
今も現役のプロドラマーとして活躍する鮎川茂行さん。
普段のお住まいは東京ですが、この日はわざわざ
エマまで足を運んで下さいます。
マスター、足を引っ張らないように頑張らないといけない^^;

場所は、西小路自治会館(小路町17-17)
時間は、16時半開場、17時開演、19時には終演予定。
チャージ料は、1,000円(飲食代別)。
カフェブースも設置します。
お飲み物片手に楽しんで頂けます。
参加ご希望の方は、エマまでご連絡下さい。

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