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エマ通信

2020.07.28

我が墓標

過日、お義父さんの3回忌にあたり、故人の眠る霊園に墓参した。

ここは山深いところではあるが、近隣には、椿大社、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の墓所、弥勒菩薩が最初に姿を現す地と伝えられる鶏足山等、道開きや国造りや来臨やら、由緒には事欠くことのない、とても天に近しい聖所である。

眼前に広がる伊勢湾までまっすぐ見通せる景勝も素晴らしい。しかもここからは年に数度だが富士山までも目で射ることができると言う。

緑も濃く空気も清らで、清浄な川もせせらぐ、永眠するにはもってこいの地ですね、お義父さん^^(もちろんお義父さんの親しんだ空海も行脚した地)

途中、この墓所を長年管理する気の良いおじさんN氏と話す機会を得た。

こちらは宗派宗門問わずに受け入れているとのこと。

そもそもお墓について弔う方法に規定などない、と。

なのでNさんが唯一目指すところが「皆んなが集まれる場所」。

こちらのお墓には『本郷永生』と刻まれる墓標が散見される。

生まれて、歩んで、死して、人は等しく本郷へと還帰る。

それはすなわち神の懐。

なので、墓所とは一番神の御座に近いのかもしれない。

Nさんは言う。「沖縄式の家族親族が賑やかに楽しく集える場所にしたい」、と。

私も是非そうあってほしい。

語らいの中で、私が想起したこと。それはかつて伝え聞いた聖者の言葉。

「私が死んだら私の墓標に只こう刻め。

神のため狂ったように働いた男がここに眠る、と。」

名もなく捨てられ喜び従う。

それが真の人の生き方、生き様、哲学、そして美意識。

それが、私の生きる原点のどこかにいつもとどまる。

この世の人は己が功名を墓標に刻みたがるけれど、とどのつまりは、人は生き様がすべてだ。

故に、墓とはその人の生き様こそを偲ぶ場所。

だから私たち夫婦は墓に参り、故人の在りし日を偲び、

人となりを思い浮かべ、

切り結んだ情を振り返り味わい分かち合う。

いずれの日にか、この墓所に私の血族が3代4代と共に集い、故人の思い出を語り継ぎたいものである。

そしてそこから、我が家の家風が良き伝統となって受け継がれてゆくのだろう。