人間万事
さて、
人間 、心の持ち様がどのくらい暮らしに反映しているものであるのか?
例えば、
喧嘩してむしゃくしゃした心で淹れたコーヒーは旨いのか?
憂いの気持ちで仕込まれた梅干しの味は人を悲しくさせるものか?
ささくれた心で作られた楽器の音色は人を癒し得るか?
苦手な相手と取り交す商談に入り込む虚勢はすぐバレるものか?
悲しいかな、人は心とは裏腹なところで生きていることが多い割に、だからと言って、 その心の持ち様が全てネガティブな結果を招くとは限らず、案外上手くいってたりもするのだ。
本当は、良いも悪いも五分五分。
損も得も五分五分。
人間万事塞翁が馬。
何が災いするのか幸いするのか、その結果は最期にならなくば分からない。
人は結果をすぐに問いたがるけれど、招いた結果に一喜一憂しているうちはこの世の業からは所詮は逃れられぬ。
人を騙し、すかし、排除して、安楽な立場にのさばりそれを成功と吹聴する輩もいるのかもしれないが、
のっぴきならない事情や憂いの境遇にあろうとも、「唯」「今」「ここに在る」私の真我を訊ね、
それを呼び覚ますことに専心する。
私の心は今、喜びや感謝や赦しやまごころや未来への希望や情熱を宿しているのかと。
さすればこそ花は咲き実は稔る。
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さて、今日は10月10日。
右と左に10目盛ずつ。
その天秤の支柱に立つ私。
酸いも甘いも噛み分けてバランス良く生きて行きたい。
右にも左にも「ありがとう(10)」をぶら下げて。