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エマ通信

2021.10.20

月ぬ美いしゃ

この季節は、十三夜を愛でるのが本来であるらしい。

「月ぬ美いしゃ 十日三日
みやらび美いしゃ 十七つ」
(ツクヌカイシャ トゥカミッカ
ミヤラビカイシャ トゥナナツ)

とは、八重山古典民謡『月ぬ美いしゃ』の一節。

月を愛でるなら十三夜
娘子が美しいのは十七才

と言うのが意。

残念ながらこの度の十三夜は雲が厚かったので、今宵の満月を愛でることに。

円い月を見上げる時にいつも「月ぬ美いしゃ」を口ずさんでしまうのは八重山人(やいまぴとぅ)の性(さが)。
どこか神さびたオジィの三線の音色さえ、耳の奥でこだまする。
あの日の八重山の月が瞼に昇る。

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5年前のあの日、別離は葬儀を通して粛々と処理されて行きました。

遺体を処置し、霊を弔い、遺品を処分し、社会との関わり事を整理して、それらは残された者の心にけじめを迫る。それらは否応無しに故人との決別を強いる。
そして、残された者の心には問い掛けが始まる。

それを「喪の仕事」と呼ぶらしい。

その仕事と向き合いながら、日々故人との対話で明け暮らす。
人生にはそんな期間が訪れる。

亡父の四十九日。

たぶん、彼岸と此岸の水の流るる深き谷間を軽々と飛び越へ、父は往く。

渡るに渡れぬ川を前に、一番辛いのは、きっと母。

狭間で息子は、恣意する。

男は、永遠不変唯一絶対の男性性を有する者として、
女は、永遠不変唯一絶対の女性性を有する者として、
両者の「結び」こそが彼岸と此岸を埋めて両界を統べる唯一無二の価値ではないのかと。

いずれは誰しもが、ウシュマイとンミーとなって、子孫に仕合わせを振る舞う為に、彼岸と此岸を往き来する。
あの世に行ってまでも夫婦が仲良く。
それが、八重山の土着信仰アンガマの心であり、そこに八重山の祖先は真理を見いだす。

夫婦の情愛無くして命は始まらず、成長も成熟もなく、血筋も残せない。

良い仏壇に有り難いお念仏にお供え、高級なお香、それも良いだろう。
しかし魂は、本当は相対する者の愛によってでしか成仏に導けないのではないのか。

ふと空を見やると、今日は冴えた空に満月。
秋の月。
天に昇るには絶好の日和。
間違いなく、天は父を祝福しているのだ。

今宵は、秋の名月を眺めながら、
月に心寄り添わせて、亡父を送り出す。
隣に居てくれる妻と心重ねて。

父が過ごした大阪の月。
父が生まれた八重山の月。

     南無。合掌。