二十億光年の孤独の檸檬ケーキ
「二十億光年の孤独の檸檬ケーキ」
起きた偶然は二度と書き替えが効かないが故、それは絶対の出来事として私の人生に刻まれる。
出来事とは起きるべくして起きている事象であり、その文脈で、偶然の裏返しが必然とも言えよう。
出来事は、味わった瞬間から私の記憶の一部(過去)となり、今この瞬間という時間の到達点から振り返れば、それらはみな起きるべくして起きたこと、即ち必然である。
但し、今この瞬間の地点で未来は何も決まってはいないのだが、その未知なる未来を決めているのもやはり今この瞬間の私である。
すべてが思い通りに行く訳もないのだが、生きている限り私は確実に未来へと向かう。
意識の絶対的実存性の観点から、私の未来は私にしか味わい得ない私にとっての絶対的な体験であり味わいなのであって、それが命はかけがえ無いということであり、人生の醍醐味というものであろう。
人生結局はどこまで行こうと一人舞台だ。その舞台は広大無辺なこの宇宙であることまで思い致せば、なんと人は孤独であることよ。
谷川俊太郎でなくても思わずくしゃみが出てしまう。
と、暇に任せてここまで思索したタイミングでママからケーキが届きましたので、
本日のケーキは、
「二十億光年の孤独の檸檬ケーキ」です^ ^
宇宙の孤独を味わうことのその妙味よ。
檸檬食む背(せな)の宇宙は孤独なり 南風児
