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梅雨空の大阪です。

久しぶりにエマのハンドメイドケーキのアップです(^^)

ママが丁寧に炊き上げた

ブルーベリーソースを生地に流し込んで

アーモンドスライスをトッピングしました。

シンプルに素材の良さを活かしたケーキです(^^)

アンニュイな鈍色(にびいろ)ハートも

ブルーベリーの甘酸っぱさが優しく包み込む。

?

サッカーとかメルカリとか、

景気の良い話もいいけど、

今日は心静かに雨を味わうのも乙。

 

 

 

こちら門真でも相当揺れましたが、

エマにおいては幸い大きな被害は無く、

ただ今通常通り営業しております。

ご安心下さいませ(^^)

しかし、私の姉が吹田に住んでますが、

そちらでは家財が相当散乱して大変とのことです。

北摂地域は結構な被害があるようです。

 

我が笑間珈琲のピクトグラム、「エマ坊や」の

ワッペンとバッジが登場(^o^)/

エマ12周年のお祝いにと

とある作家さんが製作して下さいました。

この唯一無二のハンドメイド感がとても嬉しいです(^^)

早速身に付けてみました。

思わず破顔!

とってもしっくりきてます(*^^*)

ありがとうございます!

 

 

ご近所の巨匠さんが描いて下さいました(*^^*)

『歌う珈琲焙煎師』。

いえいえまだまだわたくしは、「士」であります^^;

いつかは誠に「師」となれますよう

精進致します。

素敵な絵をありがとうございました(^^)

 

春は小径を歩きませう
何気無い裏通りを行けば
地面の割れ目から
石垣の隙間から
垣根の上っ面から
小さな芽吹きの息づかいが

聞こえます
温(ぬる)む空気も

裏通りが風の道
春の上昇気流は足下から湧き立ち
小径の上の空の川へと
吹き上がる
微かな芽吹きの喜びの歌を
心に聞く春の裏通りです
春は小径を歩きませう

 

4月14日は、開発の著しい梅田の北ヤードへ。

そのだだっ広い工事現場に
この4月から現れた一軒のコーヒー屋台。
その名は、「カフェ エンバイロメント コート」。
そのコンセプトは、「無理せず続けられる環境に優しい活動を考える」。
今年秋までの期間限定の出店ですが、
これから折々の季節の中でどう進化して行くのか、
楽しみです(^^)
仕掛け人は、大阪をコーヒーの聖地にするんだと意気込む頼もしい青年!
その心意気にマスターは惚れました(*^^*)
応援しまっせ!
梅田にお出掛けの際は、
気軽にお立ち寄り下さい。
自家焙煎の上質な手立て珈琲と
エマでお馴染みのブールパンも味わえます(^^)
しかも今なら珈琲一杯がなんと100円。
明日からは近頃流行りのグランピングイベントも始まります。
梅北サザンパークが面白くなってます。

11日、12日と
エマは連休を頂いておりました。

11日は念願の「太山寺珈琲焙煎室」へと出かけて参りました。
神戸唯一の国宝寺である「太山寺」。
その名前を冠したこちらの珈琲専門店。
由緒のある土地柄、歴史を刻む参道。
その石畳の道に面した風格のある店構え。
なんとも情趣に富んでおります(^^)
さてその珈琲のお味は、
もちろん国宝級でした!
オーナーの横野貢司氏はマスターの盟友。かつて珈琲の事を共に学び合った同期の桜。
オープンして早3年。
ようやく今日、「開業おめでとう!」を伝えることが出来ました(^^)

今日は君の元気な姿に触れられて良き刺激を頂きました!
ありがとう(^^)
お互い大切な伴侶との二人三脚だね。
頑張って参りましょう!

 

今年は結局花見らしい花見は出来ずじまいでした^^;
残念。
さくらさくらちりぬるも花筏
流転の水面を埋め尽くし
命果つるまで麗しゅう
流れ去り行くもまた再び
時充つる春に巡り会わん
ひとたびはサヨウナラ

 

冷んやり雨の春分となりました。
町の各所では桜もチラホラ咲き始めてます。
今日の雨の一雫はきっと慈雨となって、
間もなく桜もいっせいに咲き誇ることでしょう。
今期の冬は格別厳しかったから
一層綺麗に花開くことでしょう。

今日のケーキは、今シーズン最終、
『冬なごりの紅玉林檎ケーキ』。

「見る」という行為は、実は
「見られている」という前提があって
成立している行為なのではなかろうか?

雨の日、俯き加減に歩みながらも、
時折ふと気配を感じて
目を上げることがある。
存在はそれが、命を伴うものであれ、静物であれ、
そこに在ることを主張する。
だとすれば、その対象を私が見つけて「見た」のではなく、その対象によって私が「見られている」が故に気づかされて「見た」とは言えまいか?

そも存在は、存在せしめられた対象的立場なのであって、

絶対に存在の主体格にはなり得ない、

というのが根本原理だ。
私の物心は、

物心がついた時点で既に備えられていたのである。
故に私の眼差しは、

実のところ世界からの眼差しに基づいて
成り立つのである。

 

存在に宿るものへの感応体としての私。

 

この着想は存外大事なことで、
私は見られているから気付く、
問われているので考える、
託されているので行う。
それが私という存在が確定する基盤。
故に人よ、奢ることなかれ。
この世界には何ひとつとして私が自分勝手に所有して良いものなどなく、
全ては託され、問われているのである。

 

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