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全2回に渡って、「おのこの為のハンドドリップ講座」なるものの講師を勤めて参りました(^^)

中高年の引きこもりが全国で61万人を超える中、少しでも外に出て他人との交流を図る手立てになればとの思いも背景にあっての企画でした。

その辺の社会的な意義は置いておいても、コーヒーはコミュニケーションを盛り立てる最良の実技であり、またライフワークとして楽しく深く取り組める最良の趣味となることを再確認出来た企画でした。

最後はマスター、歌う珈琲焙煎士(シンガーソングロースター)としてライブパフォーマンスも披露致しました(*^^*)

ご静聴、誠にありがとうございましたm(_ _)m

次は、あなたの町でお会いしましょう(^^)

笑間珈琲店主仲大盛永勝

真夜中の工作。

時折り、矢も盾もたまらず

物作りに没頭してしまいます。

前々から作ろうと構想だけは練っていたもの。

今週にあと一回ある「男のハンドドリップ講座」で参加者の皆さんに使って頂こうと思ってます(^^)

ハンドドリップ専用台。

材料費は、およそ1000円也。

今日は気温がぐんぐんと上がって、ここ門真でもなんと31度まで(^^;;

日焼けで肌を真っ赤にしたお客様がアイスコーヒーに癒されたと、喜んでいただきました(^^)

本日エマは夜カフェ営業しております。

アルコール、ママ謹製のアテ、そして夜カフェご飯セットもございます。

9時までです。

https://harukoikeda.blogspot.com/2019/05/blog-post_9.html?m=1
以下の記事は上のホームページよりの転載です。

男のコーヒーハンドドリップ講座

「本日午後は、街かどケアホームれんか さんで開催された、「男のコーヒーハンドドリップ講座」へ。

先ごろ内閣府が初めて発表した、中高年の引きこもりの人の数は61万3千人、うち4分の3が男性です。

この深刻な状況を踏まえ、今回のコーヒー講座は、主に男性を対象に、楽しく集いながら交流したり、趣味を深めてもらえる場を作っていくためのきっかけになればと、門真市社会福祉協議会が主催したものです。

講師を務められたのは、元町の自家焙煎珈琲店、エマコーヒーのマスター、仲大盛永勝氏。

奥の深い珈琲道を究めた、プロフェッショナルならではの、繊細かつ理論的、そして何よりわくわくしながら楽しめる、ハンドドリップの極意を惜しみなく解説していただきました。

引きこもりや認知症の方々がとても多い現実社会の中、誰ひとり取り残さない、みんなが楽しく暮らせる門真であるために、本日の講座はとても有意義な時間であったと思います。

来週も、続編が予定されており、コーヒーを淹れることからコミュニケーションが生まれ、豊かな人と人とのふれあいの場がつくられていくことに、期待がふくらみます。

私も、飛び入り参加させていただき、ハンドドリップコーヒーを教えていただきました。なるほど、奥が深い! これから楽しく練習を積んでまいります。」


長い休みが明けましておめでとうございます^_^

お客様の中には、この十日間ですっかり廃人になってしまいました、もう社会復帰は無理ですと、

廃人宣言されてる方もたくさん見受けました^^;

で、皆さま実際いかがな仕事始めでありましょうか?

こんな時は案外、我々飲食店で良かったかも、と思います。

この時をしっかり働いて、あとでゆったりと混雑のなくなった行楽を愉しむ^_^

何はともあれ令和となり、

風も薫る緑の季節です。

空を見上げて、

深呼吸して、

一服のコーヒーでリセットして下さいませ(^^)

「ファイト、一服!」

by emacoffee.

令和の初日は、焙煎から。

「令和」は、「0◯」。

「零零」。

無から有を創り出す。

新たな一歩の踏み始め。

令和もよろしくお願い申し上げます。

丁度ブラックホールの写真が話題となり宇宙への関心が高まる中、

「ところでマスター。

先月のエマ通信で言ってた重力コーヒーって、何なんすか?

僕、花粉症無いんで話聞けますけど」と言われましたので、解説致しました。

?

基本、マスターはイメージ先行で物事を考え、組み立て、理解します(当たり前のことか^^;)。

先月話題に上げた「重力」について、マスターは

時間と空間の始まりに起こった出来事の名残としてそれをイメージしています。

存在界を律する4つの力。

それは即ち、

「大きな力」

「小さな力」

「電磁気力」

そして「重力」です。

中でもこの重力の値だけが他の力と比して極端に小さいことが知られており、それが未だ大きな謎として世界の研究者達を悩ませ続けています。

重力は極端に小さな値ではあるが凡ゆる存在に均一に働いており、しかも地球上にあっては常にコア(核)へと向かわしめる。

それはまるで凡(あら)ゆるをそこで束ねようとしているかのようにマスターには思えるのだが、そうして地球の中心へと収束された力(重力)は次なる段階として太陽と引き合うこととなる。

太陽を中心とした軌道上から弾き飛ばされることなく地球が回り続けている事実からして、地球は太陽とひとくさりで繋がっているのであり、

地球の重力とは結局、太陽の引力圏へと収束されて行く。

更に視点を広大な宇宙へと移すならば、

太陽であっても銀河系の一員として運動し、その中心と引き合っていることとなる。

結局、銀河系そのものがこの大宇宙のどこかの中心と連動して運行しているわけだ。

では、その「宇宙の中心」とは?

それは結局、宇宙の始原ということになる。

現代科学の知見によれば、宇宙の始まりは約138億年前に遡る。

その時、ビッグバンという巨大なエネルギーの爆裂があったとするなら、結局、力の根本は斥力なのであって、4つの力は斥力に集約されるはずと、かつて敦賀の友は語ったけれど、僕にはそうは思えない。

力も存在も関係性無くしては成立し得ないのが原則だ。

力を発揮する為には前提として働きかける対象が必要となる。

そして対象へと向かう力は同時に、自らへも同等に跳ね返ってくる力ともなる。

故に、ビッグバンの時に生じた外向きの斥力と思しき破れの力は、同等にその内側にあって絶対無の均衡を保っていたであろう虚時間の世界にも作用をもたらした筈である。

物理学が言うところの「虚時間の世界」(時間以前の世界を扱う)。

それは、「時間が空間と同じようにふるまう世界」と解釈される。

空間内にあっては、凡(あら)ゆる存在が前後左右上下等、全方向へと行き来が自在となる。

時間がそれと同等にふるまうとは、過去現在未来という時間軸に沿った行き来が自在であるということを示す。

それは即ち、我々の「心」と同質な世界ということになる。

そこには果たして、

凡ゆる知性が

万有の力が

普遍の真美善(価値意識)が

永遠なる目的が

完全無欠の愛の裏付けが

在ったのか無かったのか?

それは各人が各人の責任において各人の心で真剣に考え尋ね求めないといけない命題だ。

かかる重力の方向に身を委ね心静かに沈み込めば、

凡ゆる存在がかつ繋がりかつ揺らいでいた頃の原初の光のふるさとで、

凡ゆると相見えて完全調和することを目論む珈琲屋がこの世界の小さな片隅にあってもよかろうと、

ほくそ笑みながら今日も珈琲を点てるマスターなのである。

真理は遠く果てしなく

空の高みにあるでなく

真理は私の足の下

そっと私に寄り添って

言葉静かに支えているもの

?

と言うような説明を

うつむきながら時折り遠くを見つめながら話しました。

質問者はそろそろ鼻提灯かと思いきや、

目を爛々と輝かせて聞き入ってくれてました。

嬉しいねぇ(^^)

マスターのナンチャッテ哲学でした。

時の経つのは束の間です。

平成最後の卯月も残すところ一週間となりました。

平成のうちにやっておきたいことって何かあります?と、お客様に問うたところ、

「遺書を書く」と答えた方がいらっしゃいました。

一瞬ドキッとしましたが、昨今の世情を見るにつけ、

いつどこで何が起こるか、何に巻き込まれるか、

人生は時折り無情で冷酷な仕打ちに見舞われる事実を覚悟するなら、確かに御意です。

「メメントモリ(死を思へ)」。

アダムとエバの昔から、罪の故に人の世には死が入り込んだと聖書は語る。

聖書ならずとも碩学を深めれば誰しもが辿る境地です。

同時に、「死」と隣り合わせの人生であるが故に「生」もまた強烈に輝きあるものとして認識が出来る。

時代の呼び名は移り行けども、人の心よ何望む。

まぁ精々、悔いを残さないよう

マスターは美味しい珈琲を淹れるのだ。

そしてパートナーと楽しく語らいながら今という時を過ごします。

Have a nice day,

enjoy life

昨日はふと思い立って、

京都御所を参観して参りました。

長閑に雲のたゆる気持ちの良い天気でしたが、

京の風はまだ少し冷やっこかったどす^^;

ところどころに名残の桜が美しく、

まだ目を楽しませてくれました。

そんなに観光客が居るでもなく、もしかしてここは京の穴場かも。

新緑の候にまた訪れたいものです(^^)

言葉にはあまねく意味が付帯する。

これは致し方のないこと。

その言葉を受け止める人の立ち位置や思惑、思想、来し方等、その人を取り巻きその人を形成する背景の違いにより、言葉の解釈には当然千差が生まれる。

「令和」という言葉について、巷でけんけんがくがくの議論が沸騰するのは致し方のないこと。

 

この名付けというものは難しい。

意味に重きを置き過ぎるのもいろんな思惑を生むし、

時にその意味が呪縛となって息苦しい。

かと言って、意味は深い愛情が伴えば強い祈りとなって存在の抽象に凄み(安定感)を与える。

 

何はともあれ、「令和」となった。

日本に生まれ住まい暮らしを綴る一個人としては、

世情の喧騒やら汚濁から一線隔てたところに身をおいて、

風和らぐ春の凪いだ海の心境でのったりと

天の声を正しく聞き分け

善を誇らず悪を懲らしめず

麗しく人と和せるよう、

歩みたいもの。

 

私の中では、「麗和元年」とする。

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