2018年 9月 18日

今世間にたいそうインパクトを与えている話題。

亡くなってみてはじめて、マスターもその生き様がとても気になって仕方がありません。

全身ガンの告知を公表して憚らなかったのが5年前。

諦観から来る人としての強みと凄みと魅力、とでも形容すれば良いのでしょうか。

なんとも言えない存在感を放たれて逝かれました。

お生まれは、1943年の1月と聞きました。

戦争の真っ只中に命を賜わり生き延びた方。

そんな時代の背景を思う時、命に対する意識が我々とは俄然に違って当然なのかもしれません。

希林さんの風貌を胸に問わず語りに言葉を綴ってみました。

 

『一人の人間の命。

それは、

この宇宙の重みそのもの。

一人の人間の人生。

それは、

かけがえのないこの宇宙の物語りそのもの。

あなたもわたしも

人類の物語りを語り得る唯一無二の主人公。

今この場所で抱く私の思いが、

語る言葉が、成す行いが、

人類の歴史となって綴られる。

私もいずれはこの世を去る身。

それを無常という事なかれ。

この身の証を石に刻む必要は無し。

人生は等しく次代へと引き継がれて行く。

人生は私の体験の集積。

体験は生身の私が味わう日常。

私の味わうその日常は、

人類の貴重な体験の一コマとして

歴史が記憶し申し送られる、

と私は考える。

この先新たに生まれる命に

私の生き様が刻まれ受け継がれて行く、

と私には思われる。

前世や生まれ変わりがあるとかないとか、

魂は永遠であるとか、

宗教や哲学や主義を語るも良し、

語らずとも良し。

神様や仏様の話をしたいわけではなく、

ただただ私やあなたが、「今」「ここ」に在る事実そのものの意味を重みを

深く掘り下げ味わってみたいだけ。

「存在が存在するが故のリアルな理(ことわり)」について。

今はまだ、その結論を語るまい急ぐまい。

あなたはあなたの人生を明日からもまた懸命に生きてみるがよい。』

 

希林さんの見事な生き様に敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

合掌