2018年 10月 26日

「敏雄お父さん、ご逝去100日追慕に寄せて」

 

時の過ぎゆくは残酷である。

楽しい語らいの時間も

青春の燃える情熱も

うっとり溶けあう愛の情交もいつしか過ぎ去る。

そして大切にしていたものは無残に朽ち、人は老いて勢いを失う。

今しがたそこにあったものは手元から消え、

昨日出来たことが今日は出来なくなる。

人は焦り、懐古し、悔恨し、後悔を感じる。

自分が手に入れたもの、

自分のしてきたこと、

自分の人生のすべてに果たして意味があったのか。

なぜ時間は過ぎてゆくのだろう、

なぜ大切なものは朽ちてゆくのだろう、

なぜ人は老いてゆくのだろう。

考えてもこの世の知識は明確な答えを教えてはくれない。

そこには厳然とした冷酷な事実があるだけだ。

ただ一つだけ、答えを示してくれるものがある。

それがこの大自然と宇宙の理、すなわち原理である。

原理を紐解いていくと、次の時へと受け継がれて行く

幸福と価値と命があることに気付かされる。

楽しい語らいは次の語らいへと引き継がれ、誰かを待ち受けている。

成功も失敗も次代へのノウハウとなり

大切なものは新たな価値を担って次の人に受け渡される。

同様に、老いた私の命は、次の命へと引き継がれて行く。

幸福はひとり占め出来ないようになっている。

この世に誕生した物や命が次の幸福に引き継がれてこそ

この地球全体が幸福に包まれる。

今日の幸福な時間は、次の幸福を生むための大切な時間。

だからこそ、幸福な時間は次の幸福を生むために

いつか必ず終焉しなければならない。

芽生えた植物は花を咲かせ、種を付けて、次の命へと繋がる。

それが「命のリレー」である。

枯れて朽ちることを、終焉することを恐れる必要はない。

大自然と宇宙の中では、それは必然であるのだから。

幸福がすべての存在に満遍なく行き渡るように、

私も去り行く必要があるのだ。

時は決して残酷ではなく、

それは愛と命と幸福をすべての人に分け与える為に、

「命のリレー」を繰り返しながら、

いつも静かにそこに存在している。

 

今、敏雄お父さんの種は確実に受け継がれた。

そのこと以上の祝福はない。

見ることの出来なかった希望の未来は、

これからも子孫の命を通して共に見、味わい、分かち合う。

すべては神の御手の中で。

 

(注:上の文はある方の文章を下敷きに加筆・再構成したものです)