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2019年 4月

〓お知らせ〓

本日(29日)は、歌夜会開催準備の為、

16時に閉店させて頂きますm(_ _)m

尚、本日の歌夜会「北田はじめウクレレライブ」は、満席となっております。

当日参加は出来兼ねますので、ご了承下さいませ。

笑間珈琲店主

丁度ブラックホールの写真が話題となり宇宙への関心が高まる中、

「ところでマスター。

先月のエマ通信で言ってた重力コーヒーって、何なんすか?

僕、花粉症無いんで話聞けますけど」と言われましたので、解説致しました。

?

基本、マスターはイメージ先行で物事を考え、組み立て、理解します(当たり前のことか^^;)。

先月話題に上げた「重力」について、マスターは

時間と空間の始まりに起こった出来事の名残としてそれをイメージしています。

存在界を律する4つの力。

それは即ち、

「大きな力」

「小さな力」

「電磁気力」

そして「重力」です。

中でもこの重力の値だけが他の力と比して極端に小さいことが知られており、それが未だ大きな謎として世界の研究者達を悩ませ続けています。

重力は極端に小さな値ではあるが凡ゆる存在に均一に働いており、しかも地球上にあっては常にコア(核)へと向かわしめる。

それはまるで凡(あら)ゆるをそこで束ねようとしているかのようにマスターには思えるのだが、そうして地球の中心へと収束された力(重力)は次なる段階として太陽と引き合うこととなる。

太陽を中心とした軌道上から弾き飛ばされることなく地球が回り続けている事実からして、地球は太陽とひとくさりで繋がっているのであり、

地球の重力とは結局、太陽の引力圏へと収束されて行く。

更に視点を広大な宇宙へと移すならば、

太陽であっても銀河系の一員として運動し、その中心と引き合っていることとなる。

結局、銀河系そのものがこの大宇宙のどこかの中心と連動して運行しているわけだ。

では、その「宇宙の中心」とは?

それは結局、宇宙の始原ということになる。

現代科学の知見によれば、宇宙の始まりは約138億年前に遡る。

その時、ビッグバンという巨大なエネルギーの爆裂があったとするなら、結局、力の根本は斥力なのであって、4つの力は斥力に集約されるはずと、かつて敦賀の友は語ったけれど、僕にはそうは思えない。

力も存在も関係性無くしては成立し得ないのが原則だ。

力を発揮する為には前提として働きかける対象が必要となる。

そして対象へと向かう力は同時に、自らへも同等に跳ね返ってくる力ともなる。

故に、ビッグバンの時に生じた外向きの斥力と思しき破れの力は、同等にその内側にあって絶対無の均衡を保っていたであろう虚時間の世界にも作用をもたらした筈である。

物理学が言うところの「虚時間の世界」(時間以前の世界を扱う)。

それは、「時間が空間と同じようにふるまう世界」と解釈される。

空間内にあっては、凡(あら)ゆる存在が前後左右上下等、全方向へと行き来が自在となる。

時間がそれと同等にふるまうとは、過去現在未来という時間軸に沿った行き来が自在であるということを示す。

それは即ち、我々の「心」と同質な世界ということになる。

そこには果たして、

凡ゆる知性が

万有の力が

普遍の真美善(価値意識)が

永遠なる目的が

完全無欠の愛の裏付けが

在ったのか無かったのか?

それは各人が各人の責任において各人の心で真剣に考え尋ね求めないといけない命題だ。

かかる重力の方向に身を委ね心静かに沈み込めば、

凡ゆる存在がかつ繋がりかつ揺らいでいた頃の原初の光のふるさとで、

凡ゆると相見えて完全調和することを目論む珈琲屋がこの世界の小さな片隅にあってもよかろうと、

ほくそ笑みながら今日も珈琲を点てるマスターなのである。

真理は遠く果てしなく

空の高みにあるでなく

真理は私の足の下

そっと私に寄り添って

言葉静かに支えているもの

?

と言うような説明を

うつむきながら時折り遠くを見つめながら話しました。

質問者はそろそろ鼻提灯かと思いきや、

目を爛々と輝かせて聞き入ってくれてました。

嬉しいねぇ(^^)

マスターのナンチャッテ哲学でした。

時の経つのは束の間です。

平成最後の卯月も残すところ一週間となりました。

平成のうちにやっておきたいことって何かあります?と、お客様に問うたところ、

「遺書を書く」と答えた方がいらっしゃいました。

一瞬ドキッとしましたが、昨今の世情を見るにつけ、

いつどこで何が起こるか、何に巻き込まれるか、

人生は時折り無情で冷酷な仕打ちに見舞われる事実を覚悟するなら、確かに御意です。

「メメントモリ(死を思へ)」。

アダムとエバの昔から、罪の故に人の世には死が入り込んだと聖書は語る。

聖書ならずとも碩学を深めれば誰しもが辿る境地です。

同時に、「死」と隣り合わせの人生であるが故に「生」もまた強烈に輝きあるものとして認識が出来る。

時代の呼び名は移り行けども、人の心よ何望む。

まぁ精々、悔いを残さないよう

マスターは美味しい珈琲を淹れるのだ。

そしてパートナーと楽しく語らいながら今という時を過ごします。

Have a nice day,

enjoy life

今日は、泉佐野にある食の番人的名店、

「美味しい時間(とき)」さんに来ています。

私たちが最も信頼を寄せる料理研究家・坂本宣代先生のお店のイベントに珈琲屋として出店させて頂いてます。

ここは、築年数100年を超えたとても趣のある古民家です。

先生はつい先日までイタリアを漫遊され帰国されたばかりです。

本場イタリアの空気感満載の今日の料理は勿論イタリアン!

アクセサリー作家・仲地志保美さんの素敵なジュエリーが展示されてます。

ジュエリーのみのご高欄でもご来店頂けます。

17時までの営業です。

場所? 泉佐野市大西1-9-4

昨日はふと思い立って、

京都御所を参観して参りました。

長閑に雲のたゆる気持ちの良い天気でしたが、

京の風はまだ少し冷やっこかったどす^^;

ところどころに名残の桜が美しく、

まだ目を楽しませてくれました。

そんなに観光客が居るでもなく、もしかしてここは京の穴場かも。

新緑の候にまた訪れたいものです(^^)

「今日は雨ですねー」。

「明日は晴れますよ」。

 

4月10日。

今日は、エマのお客様感謝デー、

『ありがとうの日』です。

あいにくの雨ですが、

皆さまの日頃のご愛顧に感謝して、

ママが手がける小さなお菓子、サーターアンダギーグワァ(「グワァ」とは方言で小さいとの意)をプレゼント致します。

 

お足元の悪いコンディションの中、ご来店くださる皆様に、

「今日は雨ですねー」と、マスターが呟きます。

そしたら皆さん、

「明日は晴れますよ!」と、

お答えください。

さすれば、アンダーギー3倍プレゼント致します(^^)

皆さまのご来店をお待ちしております(^^)

言葉にはあまねく意味が付帯する。

これは致し方のないこと。

その言葉を受け止める人の立ち位置や思惑、思想、来し方等、その人を取り巻きその人を形成する背景の違いにより、言葉の解釈には当然千差が生まれる。

「令和」という言葉について、巷でけんけんがくがくの議論が沸騰するのは致し方のないこと。

 

この名付けというものは難しい。

意味に重きを置き過ぎるのもいろんな思惑を生むし、

時にその意味が呪縛となって息苦しい。

かと言って、意味は深い愛情が伴えば強い祈りとなって存在の抽象に凄み(安定感)を与える。

 

何はともあれ、「令和」となった。

日本に生まれ住まい暮らしを綴る一個人としては、

世情の喧騒やら汚濁から一線隔てたところに身をおいて、

風和らぐ春の凪いだ海の心境でのったりと

天の声を正しく聞き分け

善を誇らず悪を懲らしめず

麗しく人と和せるよう、

歩みたいもの。

 

私の中では、「麗和元年」とする。

なんてことはない風景を眺めて、

なんてことはない会話を楽しんで、

なんてことはない言葉を紡いで、

なんてことはない音楽を奏でて、

なんてことはない写真も収めて、

たいした意見を主張するわけでもなく、

ほうほう、はいはい、そうかそうかと、

なんてことはない相づちを二回ほど気を良く打ち、

今日の綺麗な夕暮れを喜び、

妻の美味しいご飯に満足を示し、

心地よく疲れて床に就く。

そんなことに満足していたら、駄目かね。

笑間福珈琲頒布会員様、お待たせ致しました。

先程平成最後の「笑間福珈琲豆」を発送致しました(^^)

 

春は「あけぼの」。

日本人の肌感覚に妙にしっくりとくる枕詞です。

今月は春の逸品をテーマに芳香な香りと後味のスッキリした雅な味わいの豆をセレクト致しました。

 

☆ガテマラ アカテナンゴ 2000m高地産

☆エルサルバドル ロスアンデス ブルボン100%

☆タンザニア スノートップA A

☆コロンビア エクセルソ Qグレード

 

そして、今月のママ謹製の笑間福ケーキは、

「金柑とクリームチーズの入ったカップケーキ」です。

春の訪れのお共に

お召し上がり下さいませ。

今月は、北田はじめさんの写真展

『Garden Plants』を開催しております。

もうすでにいろんな方々にご高覧頂き、

「命の息吹きを感じる」

「光と陰の対比が良い」

「ベッドルームに飾りたい写真」等、

好評を博しております。

5月6日までの展示となっております。?

皆さまこぞってのご来店お待ちしております。

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