2021年 6月

『一周忌』

(昨年、2020年6月23日の過去記事より)

「今日は、抜けるような青空が広がる。
今週は雨が続くとの予報であったと記憶するのだが、私の勘違いか、この梅雨の晴れ間は想像だにしていなかった。

実は、先週末に知人の訃報を受けとった。
その知人の奥様は8年前に他界されており、以来、彼は男手ひとつで残された幼い子供たち三人を今日まで育て上げた、実に偉い男なのである。
彼の仕事は大手製パン会社の配送業務であったから、昼夜を問わない激務が日常的に続いたはずで、なんのお洒落っ気もない彼の風貌からして、なりふり構わず働き通したことが伺える。

あれは何年前だったか。一度前触れなくふらりとエマを訪ねてくれたことがあった。
他愛もない話題を交わして最後に彼が聞いてきたことが、「ところでマスターはどこで散髪してますか?マスターだったらお洒落な散髪屋に行っているんじゃないかと思って」、との質問。
その時は私の行き付けの理髪店の情報を伝えはしたが、その後彼がその店に行ったかまでは知らない。
彼の訃報に触れ、今思い出す他愛もなかったこの時の会話。
でもきっと、その問いがその時の彼の来訪の一番の目的だったように思えてならない。
さて、その時の彼にあったお洒落をする必要に迫られた事情とは何だったのか?
今となってはもう私には測りようもないが、子供達にはもしかしたら思い当たる節があるのかも知れない。
それは一番下の娘さんのことであったり、長男、次男の諸事に関わるものだったり、いずれにせよきっと子供らに絡む何かであったには間違いあるまい。

伴侶を失ってからの8年間、子供らと過ごした歳月には並々ならぬ労苦があったことであろう。
こちらが話しかけることにいつも言葉少なく照れや苦笑いで答えていた温厚で善良で純心でロマンチストで出過ぎることの一切なかった優しい君。
頑強な恵まれた体軀の君が、突発性の難病に見舞われるなんて、そんなこと誰が想像出来たろう。君はあっという間に逝ってしまった。
きっと本人が一番驚いている。

この8年の間に子供らは実に成長を遂げていた。
上の子は大学生となり今二十歳だ。
次男はこの春から就職して、職場ではとても可愛がられている様子。
長女は高校2年生となり、すらりと背が伸びて気品を兼ね備えた美しい娘さんになっていた。
ほぼ8年ぶりに会った子供らの見違えるほどの成長ぶりには圧倒される。

私たち夫婦にとって、君たちのお父さんお母さんとのご縁はかけがえのないものです。
なぜ巡り会えたのか。それはすべて神様の采配によるもの。
だから僕たちはいつまでも君たちを見守る。
みんな素直な良い子たちだ。
君たちのご両親がそうであったように、神様への祈りと愛を持って君たちと付き合い続けたいと思う。
これからもどうかよろしくお願いする。

今日、無事に葬儀を終えて、晴れ上がった空に両手をしっかりと合わせました。」
(過去記事ここまで)

あれから丁度一年。
一周忌に合わせて、無事にご両親の納骨を終える。
逞しく成長している子供たちにかける言葉は必要はないけれど、以下に私の所感だけ、少し出しゃばる。

一人の人間の命。
それは、この宇宙の重みそのもの。
一人の人間の一生。
それは、かけがえのないこの宇宙の物語りそのもの。
あなたもわたしも人類の物語りを語り得る唯一無二の主人公だ。
今この場所で抱く私の思いが、
語る言葉が、
行いが、
人類の歴史となって綴られて行くのだ。
私もいずれはこの世を去る身。
それを無常という事なかれ。
この身の証を石に刻む必要は無く、人生は等しく次代へと引き継がれて行く。

君たちのご両親のことは、実のところ私たちは良くは知らない。
けれど知ろうが知るまいが、縁を賜ったのだから、
それは親の想いがそうさせたのであって、
僕たちは出来る限りのお付き合いをこれからもして行きたいと思っている。
僕たちの世代が思いもしなかった新たな価値の時代を生きる君たちを応援したいと思う。
なので、これからもよろしくお願いする。

「夕陽を喰らう女」

昨日は、夏至。
陽の光、最も極まれる日。
さぞ暑かろうと思いきや、夕刻の過ごしやすさといったら格別だったので、閉店後、夏至の陽を追っかけに軽くライドを^ ^

梅雨の晴れ間のなんと清々しいことでしょう。
空の見え方が今日はどこか違う。黄昏れるには好日。

しばしの眼福をいただきながら、今年の夏至を締める。
もったいないので、最後は夕日を丸ごと喰らって、最高の開運となったのでした^ ^

「畜産研修」

今日明日はエマは連休です。
で、今日は某所にて畜産研修でした^ ^
知っている人は知っていますが、マスターの前職は実は牛飼い。
故郷石垣島で和牛を飼育しておりましたので、畜産はお手の物、のはず。任しとき!と、張り切って挑むも、昔取った杵柄はさすがに経年劣化が進行^^;
でも、久しぶりの牛の現場は、楽しかったなぁ!
労働の後は、ピザ釜で手作りの本格ピザを堪能^ ^

自然豊かな所で生き物相手に奮闘する暮らし。
それもひとつの立派な生き甲斐の形。
そんな人生にチャレンジしてみたい方。いかがですか?
こちらの牧場を本気で紹介致しますよ!

「人との暮らし」
それこそが、一番の生きる訓練だ。

例えば僕に足りないものの一つは「聴く力」。
それは私の圧倒的な欠如であると自認しているのであるが、それを補う為の第一歩は、他者を受け止める力を養うことだろう。
言葉でねじ伏せてやろうとか、圧倒してやろうとか、
そんなことを考えているうちは、相手との溝はますます深まるばかりだ。
黙って黙してひたすら受け止める力を養う。
そうすればいつか、見えない心の声が私の耳にも聴こえるようになるのではないかと、
そんなことを思いながら今日も家族の小言を受け止める。

今日の空も雲も風も木も
変わらず黙って僕らを受け止めてくれているように。

「光と影」

物事は両面をしっかり見定めて、最後は自己責任による裁定を下して選び取る。
それは、大人として当たり前の姿勢であり行動。
現代人は日々、判断と選択に迫られ続ける暮らしを強いられて、もうクタクタですが、それでもそれは同時代を生きる者としての共通の責任であり定めであるとも言えます。
気を付けないといけないのは、無感覚と思考停止に陥ること。
感じること、考えることを面倒臭がることのないようにしたいものです。

さて、今に始まった事ではないのだが、昨今の報道(メディア)の状況はあまりに酷すぎるのではなかろうか?
コロナのマスク問題にせよワクチン問題にせよ、はたまた昨年の米国大統領選挙にせよ、物事には当然常に賛否が巻き起こるもの。
一つの事象における光と影の部分を独自の取材でバランスよく公明に報道し、人々の自己判断の材料に資するべきというのがメディアのあるべき姿勢であろう。
欧米はまだしも、とりわけこの日本という国には報道に関する独自の攻めがほとんど感じられない。そもそも報道の自由性というものがこの国では果たして確保されているのだろうか?極めて心許なく感じている者の私も一人である。

全世界的にはワクチンの是非論が大きく取り沙汰される昨今だ。
以下は、私が信頼を寄せる方が寄せてくれた投稿である。

『今回新たに開発されたメッセンジャーRNAワクチンの効果とリスクを予測する議論をこの国の大手メディアではほぼ聴かない。
それに対して、「世界が動物実験場になりつつある」との発言で物議をかもしたドイツのマインツ大学の教授、元医療生物学研究所所長スチャリット・バクディさんを含む医師・科学者グループは、欧州医薬品局に以下の質問を投げかけている。

1.筋肉注射でワクチン成分が全身に広がらないという動物実験の証拠は。
2.ワクチンが体内で小さな血管や毛細血管に取り込まれるリスクがないという動物実験の証拠は。
3.ワクチンの核酸の発現中に、スパイクタンパク質に由来するペプチドを本人のキラーT細胞が攻撃するリスクがないという動物実験の証拠は。
4.全身に血小板活性化で内皮損傷が起きるリスクがないという動物実験の証拠は。

彼らは以上の4項目にわたって欧州医薬品局がワクチンを緊急承認したことに対する科学的理由を求めており、一週間回答がなければその書面を公開するとした。
そしてそれが公開されたということは、欧州医薬品局は回答できなかったということを示すわけだ。
?この一件は欧州におけるワクチン問題に影響を与えるひとつの要因となり、昨年から今年にかけ一般の人々の間でもワクチン接種に対する賛否が巻き起こった。
イギリスではNHS(国民保険サービス)職員の4人に1人が接種拒否。
オランダでは看護師87000人がモルモットになるのはごめんだと政府相手に訴訟。
フランスでは2人に1人は接種拒否(今現在では徐々に接種を受容している人が増えているらしいが)。
欧州以外でも南アフリカでは英国製ワクチン100万本の使用を中止。
アメリカでは全米医療従事者の3人に1人が接種拒否。
カナダでは医療従事者の2人に1人が接種拒否』
(投稿の引用ここまで)

私はここで、ワクチン接種に対するリスクをことさら強調しようと思っているわけではない。
先ほど述べたように、メディアは一つの事象における光と影をバランスよく取り上げて、一人一人が健全で賢明な自己判断を下す決め手となる材料を提供してもらいたいだけである。

だが本当の一番の問題は、日本人一人一人のメンタルにあると思っています。くれぐれも無感覚と思考停止に陥らないよう、自分に言い聞かせています。

最後に、以下にこれもまた信頼を寄せる方から頂いた情報を添付しておきます。参考までに。

?

今日は某所にて、演奏に招かれております^ ^
久しぶりのこと。
やはりなんだか嬉しくて、朝からそわそわしているマスターです(°▽°)
そんなわけで、今日はマスター、昼から店にはおりません。
その分、ママが皆様を手厚くおもてなししてくれはります^ ^
皆さま、佳き一日を^ ^

今日は先ず、スケールのお勉強を。
はじめに、長さ1mの定規をお手元にご用意下さい^ ^
私らの時代の教室には必ず常備されていた木製定規、今もあるのだろか?
この定規を1000等分した一片が、1mmです。
次に、1mmの定規がもしあれば用意していただき^ ^、それを1000等分した一片が、1μm(マイクロメートル)です。
さて、1μmの定規があるとして、それを1000等分すれば、その一片のサイズが、1nm(ナノメートル)です。
なので結局、1nmとは10億分の1mとなります。

老眼の始まったマスターの目には、もう1cm角を見るのもしんどいですが^^;、米粒でふつう縦×横で5×3mm位です。
このくらいならまだ目視は可能ですね。
毛穴でだいたい、50〜100μm位。見えなくとも感知は出来るサイズです。
生物の細胞まで行くと、10μm程となり、もう顕微鏡が必要です。
では更に、細菌だと、1μm前後となり、光学顕微鏡に登場願うサイズです。
さて、次は今世間を騒がせているウィルス。
サイズは、10nm〜100nm。もう電子顕微鏡でしか確認のしようがありません。
そもそも、遺伝情報をタンパク質が覆っているだけの存在ですので超微細です。
なので、マスクは意味がないと、マスク不要論を唱える方々の論拠ともなっています。
(サッカーゴールにビー玉を投げ込むようなものらしい^^;)

確かに、ウィルス自体はマスク繊維の隙間を簡単にすり抜けますが、マスクのお陰で飛沫の飛散を防げますし、鼻や喉の粘膜の潤いを適度に保てますし、何より社会の同調意識としてお互いの安心感をシェア出来もします。
ただ、マスクの過信は禁物です。

◆マスクをしているからといって、ウイルスに罹患することも、罹患させることも十分にあることは理解しておかないといけません◆
(そもそも、「マスクは感染侵入を完全に防ぐものではありません」という表記がなされております)

さて、マスターはというと、基本、マスクはします。しかも、何年も前から季節関係なく部屋の中でもお外でも、就寝中も含めて、四六時中マスクをしておりました。
その理由は、マスターは歌手だからなのですね〜^ ^
喉に常に適度な湿気と潤いを保つ為の必需品、それがマスクなのでした。なので、マスク不足の折にも困りませんでした^ ^

さて、マスクはつけるとして、どのようなマスクが一番良いのでしょうか?
飛沫を防ぎ、息苦しくなく、フィット感もあり、見た目もスマート。そして更には、殺菌作用にも優れていれば言うに越したことはありません。
以上の点を考慮した上で、現状でマスターが一番支持するマスクが、『ナノメタルマスク』です。
このマスクは生地自体にナノ繊維化された銅と銀が縫い込まれていますので、肌と触れ合うことで常に微弱電流が流れます。
銅にはウィルスを寄せ付けない作用が、
銀には殺菌作用が、
両者とも素材そのものに優れた抗菌作用があることが確認されています。
その繊維糸に微弱電流が流れるエネルギー効果により、マスクを出入りする空気そのものを、
要は、
『吸う息にウィルスを寄せ付けず、吐く息は常に殺菌する』
という、そんな優れた仕組みのマスクなのです(先程の喩えで言うと、ゴールにゴールキーパーが常に居る状態となる)。

常に殺菌力が働いているので生地の嫌な匂い残りも気になりません。
しかも何回も洗えて(洗っても効果が落ちない)、
乾きも速く(速乾素材)、
お値段も驚くほどお値打ち価格(1枚770円)です。

エマでも少量ですが、お取り扱いがありますので、興味のある方はお訊ねくださいね^ ^


本日6/5は、イベントデー。
『新茶試飲販売会』です。
宇治の茶処、和束の農家さんより直納の選りすぐりの新茶を味わっていただけます。
また、特別企画として、ママによるお点前のお抹茶も味わえます(←こちらは一杯500円です)。
皆さまのお越しをお待ちしております。
17時までまでの企画です。

ちなみに、写真の衣装は、八重山のむいちゃー。要は、昔の野良着です^ ^