笑間通信12月号(創刊54号)より その1
『巡る季節に』
先日、お客様との会話の中で、
「春と秋とどちらが好きか?」、
と言う話題となりました。
その場に居合わせた方々にお尋ねすると、
一票差で春に軍配が上がりました。
マスターはと言うと、秋派です。
因みに、ママは春派です(花粉症がないからか…)。
春派の意見としては、
秋はなんだか物悲しいし、寒くなるのが苦手、
と言う方が大半でした。
もちろん、春は春で、
温もりの音階が一音づつ上がって
大合唱がお空に響くイメージで、
悪くないのですが、
マスターとしては逆に、
秋から冬にかけての物悲しさのその中にある風情だとか、
冬枯れていく樹々や
街の佇まいの凛とした空気感が好きです。
例えば、西行法師の和歌に、
さびしさに耐えたる人のまたもあれな
庵(いほり)ならべむ冬の山里
(新古今和歌集627)
という有名な歌がありますが、
この歌の心に観る、
物悲しいが故に内面に育つ温もり、
と言った風情に魅力を感じます。
時に人は、独りぼっちの寂しさに耐えて、
その孤独の中で独りの楽しみを見出だす力を身に付ける必要があるし、
その一方で、
友を見出だし楽しく語らいながらも、
他者と群れる煩わしさから自分を解き放つ間合いも習熟しないといけません。
孤独に耐え得ない人は群れ(或いは何かに溺れたり)、
皆と群れる煩いを避ける人は隠る(こもる)ものですが、
巡る季節に倣うなら、
全ては循環するのが健全であると気付かされます。
自然のサイクルは螺旋状に巡回しているが如く、
人の心の移ろいも陽と陰の間を絶えず循環してこそ健全であると、
秋から冬の移ろいに身を置きつつ、
物想ふ次第です。
物想いが趣味のマスターとしては、
やはり秋から冬のこの季節が好きなようです(^^)。
あと何よりも、
この季節は、珈琲がうまい!!