空のキャンバス 自由な絵筆
空には毎日、
偉大な芸術家がいるなぁ。
夥しい鱗の群れ。
山並みに連なるのは羊か兎か。
神々しく輝くのは鳳凰の舞いか
はたまた龍神の閃光か。
空の海原 帆をあげて
雲の航海を愉しむのも秋だなぁ。
でも、最後の写真にあるように、
本当は世界中の珈琲職人達が毎日せっせと
雲のもとを作り出しているのでありました(*^_^*)
それはあながち冗談でもなく、
マスターは案外本気なんだが、
butterfly effect と言う理屈の如く、
例えばそれは、
アマゾンの森の一頭の蝶の羽ばたきが基点となって
その干渉の妙がある時突然渦を巻き
風のうねりが太平洋を渡ってタイフーンとなって
日本まで押し寄せるやも知れないんだから。
この世界に存在するあらゆるミクロからマクロまで、
影響を与えあっていない存在物なんて
何ひとつとして存在しないんだからな。
あらゆる存在物が独自のゆらぎをはらんで
存在しているということさ。
そのゆらぎがいつも干渉し合っているということさ。
その事を本当の意味で体全身で理解さえできたなら
私自身の一挙手一投足の尊さをもっと噛みしめる生き方に
シフト出来るのではないだろうか。
私の今日の思いとか
私が今日口から吐いた言葉とか
そして今日の私の態度、表情、行いだとか、
それが実は、
とんでもない渦を作って世界に影響をもたらしているんだよ。
日々の、思いと言葉と行いの私の質。
それが私の人生と世界の歴史を決定付けている。
存在の大小は関係ないよ。
存在してしまっているが故に私の影響力は見過ごせないんだよ。
だから、自分を卑下している場合ではないんだよ。
自分なんてと思うことはこれっぽっちもないんだよ。
存在しているということはすなわち、
すでに愛されているということなんだから。
誰しもが世界をより豊かにしていく為の
かけがえのない構成員なんだよ。
それがこの宇宙の絶対的真実さ。
今の自分の姿や形、地位や名誉や経済レベルに基づく
自分に対する評価のほとんどは、
他人からのお仕着せ。
そんなもんで落ち込んでいるとするなら、
それは他人の呪いに殺られている。
私の思いと言葉と行いは、
他人と世界に呪いをかけるものではなく、
励まし、元気付け、歓びを分かち合うものであるべきだ。
そんなの極めて当たり前のことだろう。
僕は雲を描く者でありたい。
変幻自在に移ろいながらも、
その心は、普遍的な美徳への希求。
いいかい、先ずはイメージが大事なんだ。
空のキャンバス、自由な絵筆。
そしてそれぞれがそれぞれの美意識と技術を駆使して
切磋琢磨して、
成熟した大人としての自負を持って
責任ある絵を描くんだ。
例えばそれは、
Johnのimagine の心さ。
空に国境なんてないだろう。
空があって、大地があって、
その間に僕がいて、君がいて、
素敵な仲間達と美しいハーモニーを奏でるだけさ。
国境が歴史の遺物になる日は直ぐに来るさ。
Johnも清志郎も僕も君も
みんな心の根っこでは同じ思いさ。
僕は僕で世界のみんなを幸せにする珈琲を
今日も精一杯淹れているよ。
I’m ok,I’m ready!!