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エマ通信

2016.12.24

世界の片隅に

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「世界の小さな片隅で
担う人生のその重たさよ。」

たまの休日には映画鑑賞をと
思い続けてようやく先日実現しました。
近頃流行りのクラウドファンドという手法で資金を募り、
公開まで漕ぎ着けという話題作、
「この世界の片隅に」を鑑賞してきました。

音楽も映像もお話も
とても美しく心に響く秀作でした。
「死」というものとリアルに対峙せざるを得ない
つい先の戦時下のお話なれど、
それは今を生きる私自身のストーリーと重なる。
それは真っ直ぐに命についてのお話でした。
心打たれて帰宅して直ぐに書き殴った
マスターの感想です。

「「命」とは、その字面(じずら)からして、
「叩」かれながらも「一人」で行く道。
しかし、その字姿は、
目指すべき一つの方向を明確に
指し示している。「∧」=「↑」と。

命の向かうべきその方向とは?
その先に待つものとは?

それを見い出すことこそ
人生の醍醐味。

命は、
身体的には個々に分離独立し合った
其々だけれど、
それでもやはり命というものは、
太古の昔から今に至るまで
歴史的にも空間的にも
連綿と繋がりあった壮大な一個の営み。

とどのつまり命とは、
「私はあなたであり
あなたは私である」と言う、
その悟りに尽きる。

命について、
思うところがある。

人は、自分の運の良し悪しに
いちいち一喜一憂するけれど、
本当は、そこにあるのは、
ただただ、
その人の生きる使命の問題。

持って生まれた能力や境遇の差異に
いちいち躓(つまず)く必要はなく、

大切なのは、
誠意を持って
自分の儘ならない人生と向き合えるかどうか。
不足で非力な自分と腐らずに付き合い続けられるかどうか。

とどのつまり私達人類は、
一つの大きな命を生きている者同士の
集まりなのであって、
それぞれがそれぞれの持ち場で
精一杯の役割を果たしながら、
いつしかひとつの大きな家族となれますよう、
絶え間なく歩みを進めて行く者同士。

いつの時代も誰しもが夢見てきた
「人類一家族世界」の実現。
それは、人類共通の願いとして
連綿として受け継がれてきた「尊い祈り」。

それを神のみ旨と言うのでしょう。

今日の私の小さな生き様は、
天のみ旨を果たすために必要な
最も重要な人類の一歩。

だから私は私の今日の持ち場で、
精一杯に心を尽くす。
微笑みながら今日を振る舞う。

あの人は恵まれているとか、
この人は何々だからとか、
そんなことは一切無用な事で、

本当に大事なこととは、
最後は、
天と我との
絶対一 対 絶対一 の関係のみ
残される。

人よ、運の良し悪しを語ること勿(なか)れ。
嘆くこと勿れ。
呪うこと勿れ。

全ては神のみ旨の為に。

それが、向かうべき命の方向。

その尊い祈りを繋ぎ続ける者となれ。」。

私が託された私の世界の小さな片隅で
ひっそりと生きる
私という者の価値の大きさを
改めて思い知った作品でした。

いつの日か必ず、
花が咲き、
実が実り、
種がこぼれる。
そのことを信じて生きる者となる。