世界が消失するその前に
「世界が消失するその前に」
大学一回生の夏休み(1982年)を利用して丸2ヶ月を八重山で過ごしたことがあった。
始めの1ヶ月は西表島に住む親戚のパイン農家の手伝いをし、
後の1ヶ月は当時八百屋で相当に稼いでいた叔父の店でアルバイトをさせてもらった。
その時の様々な体験の中で、私はまともに仕事の出来ない、或いは上手く人と関われない己の半人前を痛感し激しく落ち込むこととなる。
思いと身体の乖離。
もがきつつも怯え、何にも辿り着けない焦燥感に伏せる。
そんな鬱屈とした精神状態が続く中、本当に己を情けないと思った。
歳を重ねた今もなおその資質(たち)は一向に変わってはいないようで、
私の心にはいつもどこかに未熟さが残る。
そんな未完な私だけれど、
本当はいつも見守られながら生きてきたのだ。
幼少期に接した八重山の自然は、それがあたかも世界の福音であるかのように私の眼を潤してくれた。
その眼福に浴した私は明らかに僥倖者だ。
島の麗しい人々から受けてきた数々の温情もまた私が生きる上での安心感となって今の私を育んだ。
それは大変に有難いことだ。
とりわけ、私にとってパートナーの存在は絶大だ。
どこか大人の発達障害が見え隠れする私に翻弄されながらも私のパートナーはよくやってくれている。
その心は偉大なる母性だ。
頭が上がらぬ。
自然の美も人の情けも共に、生きる上での信頼の基盤となるもの。
ましてや、健全なる母性は人類の隠れたる指導者だ。
比して、今の子供たちのことを思う。
私たちの世代の誰もがかつて浴した手付かずの世界の福音をその眼福を
或いは、お節介とも言える人の情けを
尊い母性を
これからの子供たちに残していけるのだろうか。
そのことを思う時、誠に済まないと思う。
一見綺麗にスマートに管理の進んだ世界は、今や母性の品切れ状態が続く。
人間50も過ぎれば、今日までの温情にそろそろ恩返しをしないといけない。
私が生きるこの世は美しいと、人との関わりもまた美しいのだと、そう自信を持って生き様を示しこれからの人たちにきちんと申し送れる大人として振る舞えるよう、
己の鬱屈に閉じ籠もったきりいじけている場合ではないと、思い至る。
男は父性を
女は母性を
本来の意味で取り戻さなければ。
それこそが世界の消失を食い止める手立てであろう。