のったり春の海
言葉にはあまねく意味が付帯する。
これは致し方のないこと。
その言葉を受け止める人の立ち位置や思惑、思想、来し方等、その人を取り巻きその人を形成する背景の違いにより、言葉の解釈には当然千差が生まれる。
「令和」という言葉について、巷でけんけんがくがくの議論が沸騰するのは致し方のないこと。
この名付けというものは難しい。
意味に重きを置き過ぎるのもいろんな思惑を生むし、
時にその意味が呪縛となって息苦しい。
かと言って、意味は深い愛情が伴えば強い祈りとなって存在の抽象に凄み(安定感)を与える。
何はともあれ、「令和」となった。
日本に生まれ住まい暮らしを綴る一個人としては、
世情の喧騒やら汚濁から一線隔てたところに身をおいて、
風和らぐ春の凪いだ海の心境でのったりと
天の声を正しく聞き分け
善を誇らず悪を懲らしめず
麗しく人と和せるよう、
歩みたいもの。
私の中では、「麗和元年」とする。