星の数の散らばりのような僕たち
そもそもの天体観測の起こりは羊飼いたちからであったと、そんな一文を読む。
まだ街の灯りなんぞこれっぽっちもない時代の
広大な平原を羊の群れを連れて旅をした羊飼いたちが、
毎夜見上げた天空の無数のきらめきは、
今の時代の僕たちの頭上にも相変わらずにまたたいているのだ。
時代はくだり、文明は栄え、
今では都会の夜空は明るく狭く、
ようやく一等星位しか見えぬ程に街は今宵も活況だ。
実を言うと、今日はプラネタリウムを鑑賞してきました。
通天閣を南に天井のドームに映し出された大阪の街は明かりが邪魔して星がよく見えないからと、
一度目を閉じてゆっくり5カウントの後、さぁ皆さん目を開けて下さいとのアナウンスに促されて目を開けたその刹那、
不覚にも涙がこぼれた。
文明は栄えたけれど星空を失った人類の孤独や身勝手もまた悠久なる時間の一こま。
所詮は僕たちもまた星の数の散らばりに過ぎない。