冬至に願う
こう見えて、エマは、この世の繁盛店と言う部類には全く属さない店ではある。
と言うか、そもそもこの世の慣わしにはそぐわない人間(当主)が営んでいるのであるからして、当の店主の投影としての実情が反映されているに過ぎない。
この地に暖簾を提げて14年歩み来たとは言え、日々の売り上げは未だに4桁に止まり、貸借は今以て8桁の負債を抱え、還暦は容赦なく迫り、しかし年金はすでに受給資格は無く、健康と体力の維持にのみ頼み100歳現役を標榜し、それを真剣に模索している始末である。
まともな神経の生活者であればとっくに音を上げているのかもしれない。
残念ながら、自分は商売の才覚や運には恵まれていないようである。
若い頃は、こんな自分の生活者としての体たらくに絶望もし打ちのめされもし地の底に這いつくばって凍えていたものである。
(我、寒いか?ああ、寒い。)
だけど今の私には、そんな私の無能ぶりを知りながらもいつもそばで暖めほぐし続けてくれる人がいる。
この世に救いがあるとするならば、それは身近な人のぬくもりであり、その人の献身的な支えに他ならない。
今日22日は、冬至。
陽の陰りのピークが今日をもって閾値となり、
明朝昇る陽は、今日よりも時間にして約1分30秒、長くなる。
降り注ぐエネルギーにも満ち欠けがあるのだ。
吹き荒れる寒波の空にも陽の光。
冬至の夕空よ、大切な願い事をひとつ叶えてはくれまいか。
もしも救い主がまことに来臨されるのであるならば、願わくば私の大切な人のところに臨んで下さいますよう。
そしてどうぞ、
スベテノヒトニエガオノアシタヲ。