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エマ通信

2020.12.18

とこしずめ(地鎮)の儀

昨日はお別れをして来たのでした。マスターが幼少期から青年期を過ごした場所にです。

マスターは生まれこそ石垣島ですが、物心がついたのは大阪市内の此花区でした。それは父が身内をたよってのこと。時は1965年。
それこそ、沖縄からの渡航にはまだパスポートが必要で、為替もドル建ての時代。父、33歳の一大決心。
身内の家での仮住まいを経て、狭小ではあるが一軒家を構えたのは、父35歳の時。父ちゃん頑張ったんだね!
その後、この場所をホームグラウンドにマスターは二十歳を過ぎるまで暮らしました。
家を出てその後は、あまり寄り付かなくなってしまいましたが。

1970年初頭から昭和の激動期を過ごしたこの場所。
この土地には、これまでの家族の暮らしぶりが、私たちの悲喜交交が深々と刻まれている。
私が家族とともに慣れ親しみ苦楽を共にし成長してきた、麗しき懐かしきこの場所。
今や時は半世紀を過ぎ、父も亡くなり、残された者たちも皆ここを離れてそれぞれの持ち場に移り住み、暮らしに励んでいる。
その来し方を振り返る時、わがままや身勝手に染まり数多くの諍いもありはしたが、しかし、そこににあったものは懸命に暮らしに勤しんだ家族一人一人の真摯な生き様。
振り返ればこの場所には、いつも尊い何かが、懸命に生きる者たちを見過ごすことの出来ない何者かが守り励まし導いてくれていたことだろう。
なのでその存在に、今日までのご加護に、感謝を申し上げてきた次第です。

良くも悪くも人と人との交わり、それこそが人生の宝であり生きる意味であることは、この歳になればこそ骨身で分かる事実ですが、その原点は家族でした。
人が集い、風景が広がり、生き様が映し出され刻まれて行く場所、それが我が家。
その家族の原点に、昨日お別れを告げてきました。

今日までの家族の歩みの全てを大いなるその者の御手に委ねて、その者の御意のままにお受けいただき、
そしてここからまた新たな人の活動が始まるのであれば、その大いなる存在の意思に叶う者たちの歩みとして始まりますように。
国と力と栄とが限りなく汝のものとして始まりますように、
これからもこの地を鎮め治めて下さい。
             祈