いつもどんな時も
「人とは何ぞや?」
深遠なるこの命題に
真剣に向き合い取り組む者の
わたくしも一人であります。
確かに、この世の中には
「覚者」なる人が居て、
人の在り方や
生き方や
その存在の証明を
理路整然と語り、著し、
泰然と生きておられる方が
いらっしゃることでしょう。
世に言う四大聖人をはじめ、
きっといつの世にもそんな
人生の謎解きのスペシャリストが
それぞれのエリアにあって
人々を導いていることでしょう。
それにしても世の中は、
今日もかくも混乱の極みにあります。
わたくし個人の生き様におきましても、
心は移ろい、戸惑い、
傷つき、乱心もし、
抑制の効かぬまま
ふらふらと…
判断を誤り…
悲嘆に暮れて…
行く道定まらず…
こんなわたくし自身の混沌の責任の所在は一体何処に?
私を育てた親?
生まれ落ちた境遇?
これまでの出会いが悪かったか?
世の中の仕組みが私に合わないのか?
やはり人生には導師が必要であると、
マスターも認めます。
素晴らしい善なる導師は、
いつの時代にもどこのエリアにおいても
必ず居るものと私も信じております。
だがしかし、
真理を語り示し得る覚者は常に身近にあっても、
人類の歴史は今尚、危機的状況に瀕しており、
残念ながらこの現状は変わらないままです。
いつの時代も世は常に末世。
この世のあらゆる聖典を読み耽り、
覚者にその指導を賜ろうと、
結局私の血肉までには至らず、
いまだこの混迷からは抜け出せてはいない。
それが私に付き纏うもどかしくも生々しい
現実であります。
(ヒトハ コトバドオリニハ イキラレナイ)
マスターにもかつて、
血を流すような思いで真理を求めた若き日がありました。
それは「仕合わせになりたい」というただの一心。
それはきっと今も昔も変わらぬ人としての核なる純なる思い。
さてさて、「仕合わせ」さん。
山の彼方(あなた)に住まうという
雲と空の上の方
月と星の陰のところ
夕日からこぼれる耳掻き一杯分の雫の中。
けれどもわたくしは今、
目の前の君に捧げるべきものを探そ。
たとえ明日、世界が滅びようとも
僕は今日、あなたのために渾身の珈琲を一杯、
献上致します。
そして珈琲をすすりながら
人生最大の賭けを
君と神の前に宣誓しておかないといけない。
死してあと、再び君に巡り会えるや否や?
ー「必ず会える」に正札一枚!
愛のあるところ、生命は永遠に宿る。
僕はいつもどんな時も
君のそばに居るよ。
(ママのお誕生日に寄せて)