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エマ通信

2019.04.26

重力珈琲

丁度ブラックホールの写真が話題となり宇宙への関心が高まる中、

「ところでマスター。

先月のエマ通信で言ってた重力コーヒーって、何なんすか?

僕、花粉症無いんで話聞けますけど」と言われましたので、解説致しました。

?

基本、マスターはイメージ先行で物事を考え、組み立て、理解します(当たり前のことか^^;)。

先月話題に上げた「重力」について、マスターは

時間と空間の始まりに起こった出来事の名残としてそれをイメージしています。

存在界を律する4つの力。

それは即ち、

「大きな力」

「小さな力」

「電磁気力」

そして「重力」です。

中でもこの重力の値だけが他の力と比して極端に小さいことが知られており、それが未だ大きな謎として世界の研究者達を悩ませ続けています。

重力は極端に小さな値ではあるが凡ゆる存在に均一に働いており、しかも地球上にあっては常にコア(核)へと向かわしめる。

それはまるで凡(あら)ゆるをそこで束ねようとしているかのようにマスターには思えるのだが、そうして地球の中心へと収束された力(重力)は次なる段階として太陽と引き合うこととなる。

太陽を中心とした軌道上から弾き飛ばされることなく地球が回り続けている事実からして、地球は太陽とひとくさりで繋がっているのであり、

地球の重力とは結局、太陽の引力圏へと収束されて行く。

更に視点を広大な宇宙へと移すならば、

太陽であっても銀河系の一員として運動し、その中心と引き合っていることとなる。

結局、銀河系そのものがこの大宇宙のどこかの中心と連動して運行しているわけだ。

では、その「宇宙の中心」とは?

それは結局、宇宙の始原ということになる。

現代科学の知見によれば、宇宙の始まりは約138億年前に遡る。

その時、ビッグバンという巨大なエネルギーの爆裂があったとするなら、結局、力の根本は斥力なのであって、4つの力は斥力に集約されるはずと、かつて敦賀の友は語ったけれど、僕にはそうは思えない。

力も存在も関係性無くしては成立し得ないのが原則だ。

力を発揮する為には前提として働きかける対象が必要となる。

そして対象へと向かう力は同時に、自らへも同等に跳ね返ってくる力ともなる。

故に、ビッグバンの時に生じた外向きの斥力と思しき破れの力は、同等にその内側にあって絶対無の均衡を保っていたであろう虚時間の世界にも作用をもたらした筈である。

物理学が言うところの「虚時間の世界」(時間以前の世界を扱う)。

それは、「時間が空間と同じようにふるまう世界」と解釈される。

空間内にあっては、凡(あら)ゆる存在が前後左右上下等、全方向へと行き来が自在となる。

時間がそれと同等にふるまうとは、過去現在未来という時間軸に沿った行き来が自在であるということを示す。

それは即ち、我々の「心」と同質な世界ということになる。

そこには果たして、

凡ゆる知性が

万有の力が

普遍の真美善(価値意識)が

永遠なる目的が

完全無欠の愛の裏付けが

在ったのか無かったのか?

それは各人が各人の責任において各人の心で真剣に考え尋ね求めないといけない命題だ。

かかる重力の方向に身を委ね心静かに沈み込めば、

凡ゆる存在がかつ繋がりかつ揺らいでいた頃の原初の光のふるさとで、

凡ゆると相見えて完全調和することを目論む珈琲屋がこの世界の小さな片隅にあってもよかろうと、

ほくそ笑みながら今日も珈琲を点てるマスターなのである。

真理は遠く果てしなく

空の高みにあるでなく

真理は私の足の下

そっと私に寄り添って

言葉静かに支えているもの

?

と言うような説明を

うつむきながら時折り遠くを見つめながら話しました。

質問者はそろそろ鼻提灯かと思いきや、

目を爛々と輝かせて聞き入ってくれてました。

嬉しいねぇ(^^)

マスターのナンチャッテ哲学でした。