EMA COFFEE LOGO

エマ通信

2022.06.24

世界が消失するその前に

「世界が消失するその前に」

大学一回生の夏休み(1982年のこと)を利用して丸2ヶ月を八重山で過ごしたことがあった。
前半1ヶ月は西表島の戦後開拓民でもある親戚のパイン農家で手伝いをし、
後の1ヶ月は石垣島の叔父の八百屋でアルバイトをさせてもらった。
その2ヶ月の体験の中で、私は己の半人前を痛感し激しく落ち込むこととなる。
この時期の自分の思いと身体の乖離は相当に辛かった。
もがけどももがけども何にも辿り着けない焦燥感に打ち伏した。
そんな鬱屈とした精神状態に、本当に己を情けないと思った。
大人への通過儀礼とは思いつつも。
歳を重ねたからと言ってその資質(たち)はそう易々と変わるものではないようで、
私の精神はいまだどこかに未熟さを抱える。

そんな未完な私をいつも慰めてくれたのが八重山の自然であった。

八重山の自然は、それがあたかも世界の福音であるかのように私の眼を潤してくれた。
その眼福に浴する恵みを得た私は明らかに僥倖者だ。
島の美ら人(ちゅらぴと)から受けた数々の温情もまた私が生きる上での安心感となって私を育んだ。
それは大変に有難いことだ。
母なる大地とはよく言ったもので、
その心は偉大なる母性だ。

自然の美しさも人の情けも共に、生きる上での信頼の基盤となるもの。
ましてや、健全なる母性は人類の隠れたる指導者だ。
比して、今の子供たちのことを思う。
私たちの世代の誰もがかつて浴した手付かずの世界の福音をその眼福を
或いは、お節介とも言える人の情けを
その尊い母性を
これからの子供たちに残してゆけるのだろうか。
そのことを思う時、誠に済まないと思う。
一見綺麗にスマートに管理の進んだ世界は、今や母性の品切れ状態が続く。

人間六十歳にもなれば、そろそろ今日までに頂いた温情に対して恩返しをしなくてはと考え始める。
私が生きているこの世界は美しいと、人との交わりもまた美しいのだと、
それを生き様として自信を持って示しながら、
これからの人たちにきちんと申し送れる大人として振る舞えるよう過ごしたいものだ。
己の鬱屈に閉じ籠もったきりいつまでもいじけている場合ではないのだ。

男は父性を
女は母性を
本来の意味で取り戻さなければ。
今、世界の消失に手をこまねいている場合ではない。

・・・・・・・・

さて、以上のような発言には昨今、少々注釈が必要と思われる。
男性性と女性性の境界線の問題。
獲得形質としての性とどう向き合うのか。

男ならこうあらねばならぬ、女ならこうあらねばならぬ、とは私は一切思わない。
男であっても女であっても、個人の趣味嗜好や性向は幅広く深く追求すれば良いことであって、
「らしさ」を押し付けるようなことは一切したいとは思わない。
それでも尚、男には男なりの、女には女なりのそれぞれの社会的役割りは意識すべきだとは思う。

生命の起源と発生のメカニズムはこれからもきっと普遍(不変)であり続け繰り返されると思われる。
なので健康な生殖機能を授かって生まれたのなら、男性は男性として、女性は女性として、人類の存続のためにも、これからも是非とも子孫を産み増やし続けていって頂きたい。
それを大前提としながらも、
獲得形質としての自己の性に違和感を覚える人たちのことには社会一丸となって、思いを馳せる。

「性自認」。この一筋縄では行かないテーマについてはいずれまた考えてみたいと思う。