お水の機嫌
列島が寒気に震えた昨日、
ここエマでもお客様の足並みは途絶えがちでしたが、
その分、馴染みのお客様とはじっくりお喋りを愉しめました。
で、ご来店のフラワー王子君が何気に投げかけた質問。
「お店始めてから何杯位コーヒー淹れはりました?」
あんまり考えた事無かったけれど、
一日20杯淹れたとして、
20杯×300日×8年=48000杯。
ざっとまぁ、5万杯位は淹れた事になるのでしょうか。
来る日も来る日も珈琲を淹れ続けて、
不思議に思うことがあります。
全く同じ豆を全く同じ手順で淹れたのに、
昨日と今日とで味がガラッと変わることがあるのです。
そんな時、マスターは「お水の機嫌だ」と思うのです。
こちら門真は一応都会ですので、
近くの浄水場からの水を取水しています。
しかし果たして、
この水道水っていつもいつも同じ水が来ているのだろうか?
と、そんな疑問を持つこと、皆さんはおありですか?
マスターはいつも気掛かりです。
やはり季節によって、あるいは原水の水質の日変化に応じて、
水処理の仕方には当然違いがあるのだろうと。
ミネラル分の含有量とか、
消毒薬の残留量だとか、
pH値だとか、
微妙に違って当然だと考えます。
その水質の微妙な日変化が
珈琲の味にも影響を与えているのではないか、と思うのです。
時折、どんな淹れ方をしても
気になる雑味が珈琲から抜けないことがあります。
方や、どんな淹れ方をしても
えも言われぬ円やかな味わいがカップを満たしてくれることがあります。
列島の凍えた昨日今日。
珈琲の味わいが限りなく穏やかです。
お水の機嫌がいいんだなと感じます。
その要因のひとつが、この気候の急変ではないのか、
とマスターには思えるのです。
特に、「雪」という要因。
雪の降る仕組みを詳しくは知りませんが、
空の高みで冷気に触れた水が、
結晶となって舞い落ちたものなのでしょうか。
昔、人の身体に一番良いのが、雪解け水だと聞いたことがあります。
マスターのイメージとしては、
自然界で一番無垢な水、それが雪なのかなと感じます。
天の無垢水=雪 。
水は、生命の源。
地球は、水の惑星。
そう言えば、ホメオパシーという医療分野では、
水は一番の記憶媒体であり、
自然治癒力を高める性質を備えた一番の薬だそうです。
だとすれば、雪の本質は浄化力なのかもしれない。
確かに、降り積む雪には、
穢れを知らぬ純白の世界のイメージがあります。
しんしんと天下る真白き雪の降り積む夜に、
この地の喧騒が一時凍てついて、
その雪の結晶が浄化を呼び覚ます。
そういう考えは、可笑しいでしょうか?