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エマ通信

2012.04.02

エマ通信4月号

4月2日(月)

喫茶文化を継承する門真元町の純喫茶、エマコーヒー発行のアナログ新聞、エマ通信

【4月13日は喫茶店の日】

世の中は、毎日が記念日であふれていますが、

ご多分に洩れず「喫茶店の日」なんてのもちゃんとあるのです。

時は、1888年(明治21年)4月13日。

東京、上野に日本初の喫茶店。

その名も「可否茶館」なる店がオープンしたと、

当時の読売新聞に開業案内広告が掲載されているのを根拠に、

この4月13日が日本で初めて喫茶店が出来た日として、

公式に認定されているようです。なんでも、1階がビリヤード場、

2階が喫茶室という洋館で、当時、1杯2銭の牛乳よりも安い1銭5厘で

可否(コーヒー)が提供されていたということです。

この店は、文化サロンとして、当時のハイカラな人々が集まったようですが、

わずか5年で閉店してしまいました。

ところで、可否茶館開店を遡ること10年前の明治11年12月26日付け

読売新聞に、「焦製飲料コフィー、弊店にて御飲用あるいは粉にしてお求め云々…」

との広告があるらしく、これが事実なら、記録上確認可能な最初の喫茶店は、

実は、「可否茶館」ではないことになります。

この最初のコフィー広告を出した店が、神戸の元町で今も営業なさってる、

茶商「放香堂」さんだということです。

 

コーヒーの輸入が始まった時期についての明確な記録は残っていないらしく、

しかし、少なくとも、江戸の元禄(1688ー1703)の頃には飲まれていたらしい。

きっと最初は、日本人の口にはさぞかし苦々しくて顔を歪める代物であったことでしょう。

本格的な普及は、文明開化以降、続々とやってきた欧米人の増加にともない、

次第に日本人にも広まっていったというのが実状です。

はてさて、いにしえの可否のお味やいかに…。

その当時の焙煎や抽出技術、その方法論の違い、

又、珈琲豆が備え持つ種の力そのものの時代的違いにより、

その時の可否がどんな味わいであったのか、知りようがないだけに、興味はつのります。

そこで、イエメン産出の珈琲「モカマタリ」に、

いにしえの面影を尋ねてみようと思います。

 

昔、イエメンのモカ港から積み出された珈琲豆を総称してモカコーヒーと呼んだことから、

今もエチオピアとイエメン産の珈琲豆は、「モカ」という名称で親しまれています。

中でも、今回マスターが入荷した「モカマタリ バニマタル」は、

イエメン産の最高級品として取引されています。

イエメンには、珈琲発祥の地、エチオピアから7世紀に持ち込まれ、

以来、品種改良されることもなく、

昔ながらの自然農法で今なお栽培され続けているという、

生粋の在来種がこのモカマタリなのです。

ですから、味わいはかなり個性的なものです。

香りも独特で、熟成がすすんだフルーツジュースを連想させます。

昔、アラブの偉いお坊さんが妖術に使ったことがうなづけます(笑)。

本当は、煮出し珈琲にした方が、いにしえの珈琲っぽい味わいが楽しめるかも…。

 

で、今回は特別

喫茶店の日特別企画として

4月13日(金)に限り

このモカマタリを1杯400円(通常1杯600円)にてご提供致します。

 

モカマタリは無農薬、手摘み、

アンウォシュドもさることながら、

いまだに石臼で脱穀されています。