安寧
行き場の無い怨嗟。
それが怨念となって人の世に吹き溜まる。
今、組織への批判と犯人への憎悪ばかりが世間に出回る。
だがしかし、凶弾に倒れるべきは私であったと思う人はいないのか?
その責めを追うのは私自身だと感じる人はいないのか?
今回の事件の心的原因は、存外私たちの身近なところで根を張ると感じることはそれほど極端なことだろうか?
今、世間を騒がせている問題の本質は、
宗教と母親の問題。
信心と母性。
その両者ともに救済を担う。
救済とは、元来、人の自立を促すことであり、
決して帰依に縛られてはなるまいと、私は考える。
寒い夜には懐に我が子を抱いて寝むり、
暑い日には背にくくりつけて遠い道を歩んだ、在りし日の母。
寝食を忘れ、疲れ、やつれ、我が子に没入する
その母性の源泉は、いつの日も愛と奉仕だ。
その徹底した犠牲ぶりさえ足りないと、母は神仏にも寄りすがる。
我が子の行く末の安寧を取りなす親の心は、限りなく一途で強くて尊い。
誰しもが心の拠り所を探しあぐねて人生という荒野を行く。
茨の道で傷つくとき、人は支えを欲する。
そして、再生へと向かわしめる機縁は人それぞれに与えられる。
その恵みに与(あずか)るものは幸いである。
真の信心と真の母性にはきっと真の救済への道標があるものと私は信じるのだ。
なので私はこれからも、
変わらず母性を尊び、天を敬う。
そして、人の苦しみに寄り添える自分でありたいと願う。
「人を批評していると、人を愛する時間がなくなります。
世界平和のためにできることですか?
家に帰って家族を愛してあげてください。」(マザーテレサ)