Master's Voice
初秋を鮮やかに飾りたてる花。
今年も彼岸花を見かける時季となりました。
毒々しい程にその存在感を発揮して、
けれどもあっけなく散りぬる短命の紅花。
この花、その茎と球根にアルカロイド系の毒を持つため、
ネズミやモグラ除けに昔は田んぼの畦や墓所の周りにわざとに植えられたとのこと。
ある物書きさんが言うには、
彼岸花の紅い色が鮮やかに過ぎるのは
鱗茎に毒を秘めているが故の性(さが)ではないか、と。
例えば、毒蛇、毒蜘蛛しかりで、
毒を秘めたる生き物はその紋様にしろ色柄にせよ
どこか溌剌に過ぎるきらいがある。
また、彼岸花の花弁の枯れ様が薄汚く哀れで短命なのは、
鱗茎から上がって来た自分の毒にやられるからではないか、と。
そして結びの感慨として、
「人間にも才能があるのに
自分の毒でやられる、そういう人がいる。
美しくもあるが業の深い可哀想な花だ。」と締めくくる。
慧眼。
確かにこの花にはどこか血の気の色した妖しさが漂う。
この世とあの世の境い目に佇むかのような華。
そして、花と葉が同時に揃うことがない。
「花は葉を見ず
葉は花を見ず
いつまた出逢うか彼岸花
命短し彼岸花
己が毒にて散りぬるを
此の世の定めと誰ぞ泣く
此岸(しがん)と彼岸の深い川
この世の念(おも)いは届かぬか
あの世の想いにこそ倣へ」
秋彼岸。
西は彼岸(浄土)で東は此岸(苦海)。
日の道が両岸を結ぶ一日である。
今世間にたいそうインパクトを与えている話題。
亡くなってみてはじめて、マスターもその生き様がとても気になって仕方がありません。
全身ガンの告知を公表して憚らなかったのが5年前。
諦観から来る人としての強みと凄みと魅力、とでも形容すれば良いのでしょうか。
なんとも言えない存在感を放たれて逝かれました。
お生まれは、1943年の1月と聞きました。
戦争の真っ只中に命を賜わり生き延びた方。
そんな時代の背景を思う時、命に対する意識が我々とは俄然に違って当然なのかもしれません。
希林さんの風貌を胸に問わず語りに言葉を綴ってみました。
『一人の人間の命。
それは、
この宇宙の重みそのもの。
一人の人間の人生。
それは、
かけがえのないこの宇宙の物語りそのもの。
あなたもわたしも
人類の物語りを語り得る唯一無二の主人公。
今この場所で抱く私の思いが、
語る言葉が、成す行いが、
人類の歴史となって綴られる。
私もいずれはこの世を去る身。
それを無常という事なかれ。
この身の証を石に刻む必要は無し。
人生は等しく次代へと引き継がれて行く。
人生は私の体験の集積。
体験は生身の私が味わう日常。
私の味わうその日常は、
人類の貴重な体験の一コマとして
歴史が記憶し申し送られる、
と私は考える。
この先新たに生まれる命に
私の生き様が刻まれ受け継がれて行く、
と私には思われる。
前世や生まれ変わりがあるとかないとか、
魂は永遠であるとか、
宗教や哲学や主義を語るも良し、
語らずとも良し。
神様や仏様の話をしたいわけではなく、
ただただ私やあなたが、「今」「ここ」に在る事実そのものの意味を重みを
深く掘り下げ味わってみたいだけ。
「存在が存在するが故のリアルな理(ことわり)」について。
今はまだ、その結論を語るまい急ぐまい。
あなたはあなたの人生を明日からもまた懸命に生きてみるがよい。』
希林さんの見事な生き様に敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。
合掌
昨日(9/13)エルマガジン社から「サイクリングを楽しむ本[関西版]」というムック本が発行されました。
あるテーマに絞って編集された雑誌様の書籍のことを一般にムック本(magazine+book⇒mook)と称しますが、
今回こちらのムック本に笑間珈琲を取り上げていただいております(^^)
推奨サイクリングコース10選の中の「北河内サイクルライン」(P.76~77)の途中のお楽しみ休憩ポイントとして、
お友達の若狭や製麺所さんと並んで笑間も案内頂いております(*^^*)
「サイクリングを楽しむ本」、
本屋さんで見かけましたらチェックしてみてくださいね(^^)
そんでもって、秋風をきっての自転車でのご来店、
お待ちしております!
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