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Master's Voice

人との暮らしこそが、

本当の意味での生きる訓練だ。

例えば、僕に足りないものは「聴く力」だ。

それは病的と言っていいほどの圧倒的な欠如だと僕は自認している。

それを補う為の第一歩は、

他者をじっと受け止める力を養うこと。

言葉でねじ伏せてやろうとか

圧倒してやろうとか

そんなことを考えているうちは、

相手との溝はますます深まるばかりだ。

黙って黙してひたすら受け止める力を養う。

そのうちにいつか、

見えない心の声が私の耳に聴こえるようになるのではないかと、

そんなことを思いながら

家族の小言を受け止める。

今日の空も雲も星も風も

変わらず黙って僕らを受け止めてくれている。

今日は特別な友人を見舞いに大阪市内の病院まで自転車で訪れた。

少し汗ばむ晴れ間のもと、大川沿いを下りつつ、君はこんな道も自転車を走らせながら僕の店まで足繁く通ってくれたのかなと

開店当初の日々を回想した。

あの頃のお客様と言えば、近所の80を超えたSおばぁか大阪市内に住む君くらいなもので、

よくお題目コーヒーとか言って遊んだ。

「しぐれ」コーヒー作ってとか、今オリンピックやから「五大陸」コーヒーとか、あの人の命日やから「想夫恋(そうふれん)」作ってとか、徒然のお題目に合わせて僕はコーヒーを創作して淹れた。

店の常連というものはその時々で顔ぶれは随分と様変わりをするもの。

人は存外その場所に留まり続けることは難しいのだ。

所詮人は皆人生の旅がらす。のっぴきならぬ事情に余儀無くされる。

いつの間にやら君は顔を見せなくなった。

そんな君が病に臥せっていると聞き、連絡したのが七日前。

君の病は思った以上に重篤だったようで、この1週間で事態は急変したんだね。

君から聞いた病室はもぬけの殻で、退院の詳細はご家族にお尋ね下さいと、丁寧に言われた。

為す術もない僕は、自転車を走らせながら物思う。

僕の人生はまだまだ続くけど、いずれ腰に真理の帯刀携えて、僕は君に出会いに行くよ。その時まで、さらば友よ。

旅先で、日々の暮らしの中で、

私が関わる全ての対象が私に寄越すその刺激に促されて

私の心に浮かび上がる情的な質感をくみ取る時、

「旅情」、「抒情」、「人情」、

人はそんな言葉を充てながら感動を胸に留(とど)めようとする。

旅情も抒情も人情も、みんな「情」。

もちろん人生には、お金も地位も名誉も仕事も自由になる時間も必要だけど、

本当は人生で一番大切なものは「情(なさけ)」なのだと、齢を重ねるごとに思うこの頃。

人は情け、世は情け。それでいい。

今時のAIがどんなにか優れていようと、

今日の青い空に綿のような白い雲を見つめていれば、

そんなことはもうどうでも良くって、

その情けひとつで十分今日を締めくくられるさ。

相手を見下げる様なことは、しない。

断固としてしない。

それが生きる上での基本姿勢。

誰しもが永遠不変唯一無二なる個性を持った手強い面々。

その認識で全ての人に相対する。

善を誇ることなかれ。

悪を懲らしめることなかれ。

出会うに意味があり。

味わうに学びあり。

取り組むに喜びを見出せるよう、

全力で生きてみる。

人間は生きて精精100年。

あれしたそれしたこれを得た、

金持ちだ偉いんだと、順位をつけたりそいつの出自を蔑んだところで、そこに何の意味があるだろう。

人類の歴史なんて、精精6000年。

地球の年齢は40億歳だ。

宇宙は137億光年。

オイラはたかだか55歳。

あと50年生きたところでたいしたことなどこれっぽっちもないや。

地球のくしゃみひとつでぶっ飛ばされっちまう。

時間の流れとは、摂理としての事象だ。

はてさて、私たちは結局

どこへ向かって流れてゆくのか?

そんなことは天に任せれば良いのであって、

今日の私は今日の真心を目の前の人に尽くせば良いだけだ。

今日という摂理的事象の一コマにあって

永遠不変無二なる愛を探しながら暮らすんだ。

全2回に渡って、「おのこの為のハンドドリップ講座」なるものの講師を勤めて参りました(^^)

中高年の引きこもりが全国で61万人を超える中、少しでも外に出て他人との交流を図る手立てになればとの思いも背景にあっての企画でした。

その辺の社会的な意義は置いておいても、コーヒーはコミュニケーションを盛り立てる最良の実技であり、またライフワークとして楽しく深く取り組める最良の趣味となることを再確認出来た企画でした。

最後はマスター、歌う珈琲焙煎士(シンガーソングロースター)としてライブパフォーマンスも披露致しました(*^^*)

ご静聴、誠にありがとうございましたm(_ _)m

次は、あなたの町でお会いしましょう(^^)

笑間珈琲店主仲大盛永勝

今日は気温がぐんぐんと上がって、ここ門真でもなんと31度まで(^^;;

日焼けで肌を真っ赤にしたお客様がアイスコーヒーに癒されたと、喜んでいただきました(^^)

本日エマは夜カフェ営業しております。

アルコール、ママ謹製のアテ、そして夜カフェご飯セットもございます。

9時までです。

長い休みが明けましておめでとうございます^_^

お客様の中には、この十日間ですっかり廃人になってしまいました、もう社会復帰は無理ですと、

廃人宣言されてる方もたくさん見受けました^^;

で、皆さま実際いかがな仕事始めでありましょうか?

こんな時は案外、我々飲食店で良かったかも、と思います。

この時をしっかり働いて、あとでゆったりと混雑のなくなった行楽を愉しむ^_^

何はともあれ令和となり、

風も薫る緑の季節です。

空を見上げて、

深呼吸して、

一服のコーヒーでリセットして下さいませ(^^)

「ファイト、一服!」

by emacoffee.

令和の初日は、焙煎から。

「令和」は、「0◯」。

「零零」。

無から有を創り出す。

新たな一歩の踏み始め。

令和もよろしくお願い申し上げます。

丁度ブラックホールの写真が話題となり宇宙への関心が高まる中、

「ところでマスター。

先月のエマ通信で言ってた重力コーヒーって、何なんすか?

僕、花粉症無いんで話聞けますけど」と言われましたので、解説致しました。

?

基本、マスターはイメージ先行で物事を考え、組み立て、理解します(当たり前のことか^^;)。

先月話題に上げた「重力」について、マスターは

時間と空間の始まりに起こった出来事の名残としてそれをイメージしています。

存在界を律する4つの力。

それは即ち、

「大きな力」

「小さな力」

「電磁気力」

そして「重力」です。

中でもこの重力の値だけが他の力と比して極端に小さいことが知られており、それが未だ大きな謎として世界の研究者達を悩ませ続けています。

重力は極端に小さな値ではあるが凡ゆる存在に均一に働いており、しかも地球上にあっては常にコア(核)へと向かわしめる。

それはまるで凡(あら)ゆるをそこで束ねようとしているかのようにマスターには思えるのだが、そうして地球の中心へと収束された力(重力)は次なる段階として太陽と引き合うこととなる。

太陽を中心とした軌道上から弾き飛ばされることなく地球が回り続けている事実からして、地球は太陽とひとくさりで繋がっているのであり、

地球の重力とは結局、太陽の引力圏へと収束されて行く。

更に視点を広大な宇宙へと移すならば、

太陽であっても銀河系の一員として運動し、その中心と引き合っていることとなる。

結局、銀河系そのものがこの大宇宙のどこかの中心と連動して運行しているわけだ。

では、その「宇宙の中心」とは?

それは結局、宇宙の始原ということになる。

現代科学の知見によれば、宇宙の始まりは約138億年前に遡る。

その時、ビッグバンという巨大なエネルギーの爆裂があったとするなら、結局、力の根本は斥力なのであって、4つの力は斥力に集約されるはずと、かつて敦賀の友は語ったけれど、僕にはそうは思えない。

力も存在も関係性無くしては成立し得ないのが原則だ。

力を発揮する為には前提として働きかける対象が必要となる。

そして対象へと向かう力は同時に、自らへも同等に跳ね返ってくる力ともなる。

故に、ビッグバンの時に生じた外向きの斥力と思しき破れの力は、同等にその内側にあって絶対無の均衡を保っていたであろう虚時間の世界にも作用をもたらした筈である。

物理学が言うところの「虚時間の世界」(時間以前の世界を扱う)。

それは、「時間が空間と同じようにふるまう世界」と解釈される。

空間内にあっては、凡(あら)ゆる存在が前後左右上下等、全方向へと行き来が自在となる。

時間がそれと同等にふるまうとは、過去現在未来という時間軸に沿った行き来が自在であるということを示す。

それは即ち、我々の「心」と同質な世界ということになる。

そこには果たして、

凡ゆる知性が

万有の力が

普遍の真美善(価値意識)が

永遠なる目的が

完全無欠の愛の裏付けが

在ったのか無かったのか?

それは各人が各人の責任において各人の心で真剣に考え尋ね求めないといけない命題だ。

かかる重力の方向に身を委ね心静かに沈み込めば、

凡ゆる存在がかつ繋がりかつ揺らいでいた頃の原初の光のふるさとで、

凡ゆると相見えて完全調和することを目論む珈琲屋がこの世界の小さな片隅にあってもよかろうと、

ほくそ笑みながら今日も珈琲を点てるマスターなのである。

真理は遠く果てしなく

空の高みにあるでなく

真理は私の足の下

そっと私に寄り添って

言葉静かに支えているもの

?

と言うような説明を

うつむきながら時折り遠くを見つめながら話しました。

質問者はそろそろ鼻提灯かと思いきや、

目を爛々と輝かせて聞き入ってくれてました。

嬉しいねぇ(^^)

マスターのナンチャッテ哲学でした。

時の経つのは束の間です。

平成最後の卯月も残すところ一週間となりました。

平成のうちにやっておきたいことって何かあります?と、お客様に問うたところ、

「遺書を書く」と答えた方がいらっしゃいました。

一瞬ドキッとしましたが、昨今の世情を見るにつけ、

いつどこで何が起こるか、何に巻き込まれるか、

人生は時折り無情で冷酷な仕打ちに見舞われる事実を覚悟するなら、確かに御意です。

「メメントモリ(死を思へ)」。

アダムとエバの昔から、罪の故に人の世には死が入り込んだと聖書は語る。

聖書ならずとも碩学を深めれば誰しもが辿る境地です。

同時に、「死」と隣り合わせの人生であるが故に「生」もまた強烈に輝きあるものとして認識が出来る。

時代の呼び名は移り行けども、人の心よ何望む。

まぁ精々、悔いを残さないよう

マスターは美味しい珈琲を淹れるのだ。

そしてパートナーと楽しく語らいながら今という時を過ごします。

Have a nice day,

enjoy life

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