Master's Voice

慌ただしく日々を過ごしてます。

特に私の妻は側(はた)で見ていて、少し心配なくらい今は慌ただしい。

でも、妻は偉いと思う。

命を看取るということはそうそうある事ではないのだが、

逝く者と残される者との最後の刹那に立ち合って、両者の心を豊かに取り持って、強く優しく抱きつつ導いたのだと思う。

この人はなんと大きな翼を持っているのだろうと、僕は我が妻に感動した。

もうしばらくは残された3本の若木たちの面倒を見てあげて下さいな。

マスターなら大丈夫(^^)

勝手に飯食らってます。

一人で切り盛り出来ますので^_^

夕べの買い物の空の黄金(こがね)の羽は君の羽

今日は、抜けるような青空です。

今週は雨が続くとの予報であったと記憶するのだが、マスターの勘違いか、この晴れ間は想像だにしなかった。

実は、先週末に知人の訃報を受けとった。

その知人の奥様は、8年前に他界しており、以来、彼は残された幼い子供たち三人を男手ひとつで今日まで育ててきた、実に偉い男なのである。

彼の場合は、大手パン屋の配送業務担当であったから、昼夜を問わない激務であったはずで、なんのお洒落っ気もない彼の風貌からして、なりふり構わず働き通したのだろう。

あれは何年前だったか。一度何の前触れなくふらりとエマを訪ねてくれたことがあった。

他愛もない雑談を交わして最後になって彼が聞いてきたことが、「ところでマスターはどこで散髪してますか?マスターだったらお洒落な散髪屋に行っているんじゃないかと思って」、との質問。

その時は私の行き付けの理髪店の情報を伝えはしたが、その後彼がその店に行ったかまでは知らない。

彼の訃報に触れ今思い出す他愛もなかったこの会話。でもきっと、その時の彼の来訪の一番の目的がそれだったように思えてならない。

さて、その時の彼にあったお洒落をするに駆られた事情とは何だったのか?

今となってはマスターには計りようもないが、子供達にはもしかしたら思い当たることがあるかも知れない。

それは一番下の娘さんのことであったり、長男、次男の諸々に関わるものだったかもしれないのだが、いずれにせよきっと子供らに絡む何かであったに間違いあるまい。

母を失って8年間の子供らとの歳月には並々ならぬ労苦があったことであろう。

こちらが話しかけることにいつも言葉数少なく照れや苦笑いで答えていた温厚で善良で純心でロマンチストで出過ぎることの一切なかった優しい君。

頑強そうな体軀に見えたのに、突発性の難病に見舞われるなんて、そんなこと誰が想像出来たろう。

きっと本人が一番驚いている。

この8年の間に子供らは実に成長を遂げたものだ。

上の子は大学生となり今二十歳だ。

次男はこの春から就職して、職場ではとても可愛がられている様子。

長女は高校2年生となり、すらりと背が伸びて気品を兼ね備えた美しい娘さんになっていた。

ほぼ8年ぶりに会った子供らの見違えるほどの成長ぶりには圧倒される。

私たち夫婦にとって、君たちのお父さんお母さんとのご縁はかけがえのないものです。

なぜ巡り会えたのか。それらはすべて神様の采配によるもの。

だから僕たちはいつまでも君たちを見守る。

みんな素直な良い子たち。

君たちのご両親がそうであったように、神様への祈りと愛を持って君たちと付き合い続けたいと思う。

これからもよろしくお願いする。

今日、無事に葬儀を終えて、晴れ上がった空に両手をしっかりと合わせた。


まだ小学生にも満たないお向かいのヒロキ君。

エマの閉店間際、せっせっと一人で家族バーベキューの準備に忙しそう。

マスター:「ヒロキ君、テーブル一人で準備出来て偉いなぁ」

ヒロキ君:「ウン!ヒロキな、力持ちやねん。ネェちゃんはずっとテレビゲームばっかりやってんねんけどな、ヒロキは今日はお父さんの日やからやっててケーキもあんねん」

ちょっと感動したマスター:「ヘェー、偉いな、ええなぁ、楽しみやなぁ。しっかりお父さん喜ばしたりや!」

得意げなヒロキ君:「ウン、まかしといてぇ!」

マスターには子ども時分に父の日に張り切った思い出は、無いなぁ…。

思い起こされるのは、超狭小住宅に一家四人が布団を並べた昭和のボロ屋とそこにこもる父の金気(かなけ)臭い服の匂い。

見上げると薄曇りの空にぼんやりと日輪。

今日は、夏至で皆既日食で新月で、そして父の日か。

無口な父の中には、いろんなこもごもが宿るのを象徴しているかのようだ。

死に物狂いで働いたお父ちゃん。

命を削って働いたお父ちゃん。

すべては子供達の為に。

オンボロでも我が家。

ボサボサでも我が父。

もっとも大切だったのは、

明日への祈りと父の愛。

北田鉄工所製作アイアンレッグ納品。

先月に、マスターが手塩に掛けて磨き上げた笑間の初代看板のことを覚えていますでしょうか?

風雪に晒されること15年。

良い塩梅に詫び寂びた厚板をテーブルに仕立てるにあたり、脚の造作をどうしようかと思案するに、頼れる助っ人はやはりこの男しかいないと、

今回も快くマスターの依頼を引き受けてくれました(^^)

北田鉄工所の社長であり、我が同期の櫻、北田君。

いやぁ、実に古式ゆかしき正しき喫茶テーブル仕様のアイアンレッグを設えていただきました。

塗装も三度塗りまでしてくれており、仕事が実に丁寧で誠実だ!

良い友に恵まれて、マスターはしあわせです。

ありがとう、我が良き友よ!

気分が良いから歌でも歌って今夜は過ごそう!

〜下駄を鳴らして 

奴が来る〜


田の面の鏡をなんと言おう。

夕まぐれの山の端のかすみをどう描こう。

日暮れ空の移ろいの刻々を何をもって伝えるべきか。

水の匂い、風の湿り、土との接地面。

今、自然により慰めを受けている私は、

その対の事象として、

この私の存在の故に自然もまた私から慰めを受けているものと信じたい。

対象物を情感を持って味わい得る才こそが人の突出した能であるのなら、私の使命は、

対象を愛でること、味わうこと、喜ぶこと、そして感謝すること。

私が私として今ここにすでに存在してしまっているものとしての私が、それらを受け止めることの意義を考える。

神なる存在に思いを馳せながら、味わい尽くす事の大事を思う。


私の思いの根にあるものは、

笑顔のあふれる時間と空間を心許せる仲間たちと築きたい。

それは、小さなコミュニティ天国を作るということ。

マスターが喫茶店を始めたのも、歌を歌うのも、イベントに取り組むのも、

良き仲間たちと時間・空間を笑顔と共に過ごしたい。

ただただそう願うばかりです。

なのでうちの店名は、今更ですが、『笑間(えま)』と申します(^^)

かつて笑間で「わっしょいプロジェクト」というものを立ち上げたことがありました。

「わっしょい」の「わ」は、

驚き・感激・感動の「わ!」。

繋がり広がる輪っかの「輪(わ)」。

“なごみ”と“いやし”の平和の「和(わ)」。

そんな心で会話が弾むの「話(わ)」。

それはすなわち日本の心、和を以て貴しとなすの「わ」。

みんなで一緒にそんな心で「わ」を背負うと言う意味で、「わっしょい」。

ワ・輪・和・話。

今年も梅が実をつける時期となりました。

一粒の実りが来るその道は、決して簡単なものではないけれど、その恵みを皆さんと一緒に分かちあいたい、抱(いだ)きたい。

今宵いと高きところへと和む月。

憤ったままで日が暮れることのないように。

互いに和の心を持って真実こそが満ちるように。

このところ、人様の訃報に触れることが俄然と増えた。もちろん同世代(マスターは昭和38年生まれ)の方とのお付き合いが多いせいもあるが、喫茶店は人のプラットホームなのだ。

「死を思へ(memento mori)」という言葉があるが、この歳になれば嫌でも思わされる機会が増える。

誰しもに訪れる旅立ちの時。「家族による手作りの温もり溢れる葬送が出来ました」とお聞きして、寂しいけれど私もほっと致しました。ご冥福をお祈りしております。

アスニハチリヌルコノミトアラバ

セメテナサケノヒトカケラ

コノヨヲイキルヨスガトサダメ

キョウモブコツニヒトノミチ

スベテノヒトニヤサシクアリタシ

タソガレソラニリョウノテアワセ

アシタノサチヲオモッテナイタ

(明日には散りぬるこの身とあらば

せめて情けのひとかけら

この世を生きる縁(よすが)と定め

今日も無骨に人の道

すべての人に優しくありたし

黄昏れ空に両の手合わせ

明日の幸を思って泣いた)


時には、書を措(お)いて街に出よう。

殊に、五月晴れの空と陽射しは何にも替え難い滋養を身体にもたらすのだ。そう、そいつはビタミンD。骨の健康を保ち、免疫力をUPするのである。

思うに、日照時間と気温の推移と感染者数の増減にはきっと有意な相関が見て取れるのではないか?

ともあれ、コロナも自然の一部であるのなら、人事はもちろん尽くすべきなれど、自然界のことは最後は自然に任せる他はなく、天命が自然収束へと向かわしめることを祈る次第である。

そもそも二人とも土物は好きですが、結婚して20年目を陶器婚と称して記念することはママから教えてもらいました。

男女が結婚して夫婦となり、あぐみつつも懸命に歳月を紡ぎ年輪を重ねる。

結婚生活とは陶工が土を捏ね轆轤を回し、仕損じては再び意に添う器を造るに似る。

確かに、夫婦としての20年の歩みを持って陶工の器造りになぞるは、然り。

本当は、私たち夫婦の陶器婚は昨年のこと。しかしながら、私たちの意に添う陶器がいまだ見つからずにいたところ、一年越しで素晴らしい器と出会えました。

作家さんのお名前は、高木純氏。備前焼の若き陶工さん。

エマの割賦(カップ)は最終全て備前に揃えても良いと、本気で思っているくらい、マスターは備前が好きです。

釉薬を一切使わず、炎の当たりによってもたらされる文様や濃淡の無二性、その質感の妙に惹き込まれます。

そして何より素焼き特有の多孔質が水の味わいを美味しくします。

高木純さんの作品には品格を感じます。それは美に対する真摯な思考の素直な表れなのかなと感じています。きっとこれから備前の名工となられる方に違いない。

今日も一仕事終え、二人向き合う暮らしの刹那。それは、お茶の時間。

うちはお酒を嗜む習慣が皆無なので、珈琲を飲んでます。勿論笑間珈琲(笑)。

今日の交々(こもごも)を二人語らうゆるやかな時間にこちらの備前。

文様の無限宇宙に糾(あざな)える悲喜を観ながら、次なる歳月へと向かう。

備前の多孔は多幸に思える。

☆高木さんの作品は以下から購入出来ます。

https://www.creema.jp/c/utsuwatakagi

今日は青空、お掃除日より。

大掃除は本来、春〜梅雨入りまでの晴れ間に行うべきものと考えます。

ですので、このところのうちのママは、掃除・片付け・断捨離に精を出していらっしゃる。

そして、今日はマスターも朝から邪魔にならないよう部屋の隅っこに居て時折り援護するのであった。

ママ:「寸法測りたいからメジャー持ってきてくれる?」

マスター:「OK!イチローがエエか?松井がエエか?」

ママ:「そんな古い奴らもういらんねん。大谷にしといて!」

ンー??さすがクールなこと言いよる^^;

朝からテンション上げる我が家なのであった。

チャンチャン(^^)