Master's Voice

昨日はお別れをして来たのでした。マスターが幼少期から青年期を過ごした場所にです。

マスターは生まれこそ石垣島ですが、物心がついたのは大阪市内の此花区でした。それは父が身内をたよってのこと。時は1965年。
それこそ、沖縄からの渡航にはまだパスポートが必要で、為替もドル建ての時代。父、33歳の一大決心。
身内の家での仮住まいを経て、狭小ではあるが一軒家を構えたのは、父35歳の時。父ちゃん頑張ったんだね!
その後、この場所をホームグラウンドにマスターは二十歳を過ぎるまで暮らしました。
家を出てその後は、あまり寄り付かなくなってしまいましたが。

1970年初頭から昭和の激動期を過ごしたこの場所。
この土地には、これまでの家族の暮らしぶりが、私たちの悲喜交交が深々と刻まれている。
私が家族とともに慣れ親しみ苦楽を共にし成長してきた、麗しき懐かしきこの場所。
今や時は半世紀を過ぎ、父も亡くなり、残された者たちも皆ここを離れてそれぞれの持ち場に移り住み、暮らしに励んでいる。
その来し方を振り返る時、わがままや身勝手に染まり数多くの諍いもありはしたが、しかし、そこににあったものは懸命に暮らしに勤しんだ家族一人一人の真摯な生き様。
振り返ればこの場所には、いつも尊い何かが、懸命に生きる者たちを見過ごすことの出来ない何者かが守り励まし導いてくれていたことだろう。
なのでその存在に、今日までのご加護に、感謝を申し上げてきた次第です。

良くも悪くも人と人との交わり、それこそが人生の宝であり生きる意味であることは、この歳になればこそ骨身で分かる事実ですが、その原点は家族でした。
人が集い、風景が広がり、生き様が映し出され刻まれて行く場所、それが我が家。
その家族の原点に、昨日お別れを告げてきました。

今日までの家族の歩みの全てを大いなるその者の御手に委ねて、その者の御意のままにお受けいただき、
そしてここからまた新たな人の活動が始まるのであれば、その大いなる存在の意思に叶う者たちの歩みとして始まりますように。
国と力と栄とが限りなく汝のものとして始まりますように、
これからもこの地を鎮め治めて下さい。
             祈 

朝まだきの散歩道
ここよここよと
ひと時の静けさに声を聴く
足下には落ち葉の絨毯
風にめくられ
そこには愛らしい木ノ実たちだ。

冷え込む朝に眠っていた
暖かい光景。
帰ったら熱い珈琲をいただこう。

残り僅かな年の瀬。
心の庵(いおり)並べて手をかざしあって、温め合いましょ。

今日の晩秋の日和がとても美しく清々しいのは、天の祝福。
と言うのも、今日は大切な人のお誕生日でしたので、
私はその祝福の故に、とても嬉しいのです。
年嵩はこれからますます積み上がる二人ですが、
二人歩きの愉しみはこれからますます増し加わることでしょう。
出逢いこそが奇跡なのだと、この人の故に私は確信するのです。
寄り添っていただけることに感謝を申し上げます。

晴れ上がる夕空。
素足で落ち葉の芝を踏んでみた。
これは秋と一体となるための試み。

掛け値のないものを
ただそこに在るだけで貴いものをこの身に修めたくて、
暮れなずむ時に佇む。

南の島の波打ちの音や三線の音が子守唄でした。たぶん。
それが私の耳福眼福。
潮の香りや草いきれもまた、夏に生まれた私の郷愁を誘います。
物心ついたのは、高度経済成長期真っ只中の大阪市中。
川底からはメタンガス、空は光化学スモッグ、海は垂れ流しの廃液にまみれて絵の具色に染まっていました。
子供の私は日々それを目の当たりにして育ちました。
船上で暮らしていた友達も
朽ち果てた船を舫でいた岸辺も
ハゼ釣りをした湾処(わんど)も
港湾の広大な空き地も
今は昔。
河の流れに沿う時はいつもそんなことを思い出す。

野辺の秋風に身を晒し
束の間の郷愁にひたる

だけど、辿り着いた今に悲観はない。
時の流れはいつも愛おしい。
まだまだこれからが本当の始まり。


エマの15周年にと、手作りの記念品を賜わりました。
コーヒー豆を丹念に貼り付けたキャンパス地に、丁寧に白文字を書いて下さいました。
祈りの入ったまさに祈念品です。
まことにありがとうございます!

11月10日。エマさん15周年の朝。

お天道様のお陰様m(_ _)m

皆さまのお一人お一人がお天道様です^ ^

ありがとうございます。

私の本業は喫茶店です。
当店も今月で開業15年となりました。
「商売は日めくりカレンダーやで」と、開業当初にご近所の老賢者様より学んだ教えは本当で、近頃ではコーヒー教室のオファーをたまわることもしばしば。それはそれで、15年という歳月より得た信用の証であると感謝をしております。
で、今日は隣町の自治会館まで、「男のコーヒーハンドドリップ講座」の講師としてお招きを頂き出かけておりました。
この敢えて「男の」と言うタイトルは、昨今中高齢者の引きこもりが全国で61万人を超えて社会問題化する中、少しでも戸外に出て他者との交流を図る手立てになればとの思いも背景にあっての企画でした。
その辺の社会的な意義はさて置いても、コーヒーはコミュニケーションを盛り立てる最良の実技であり、またライフワークとして楽しく深く長く取り組める最良の趣味となることを再確認出来た講座でした。
ご参集頂きました人生の大先輩方たちには慣れない手際で懸命に取り組んでいただき誠に恐縮でしたが、皆様口々に「コーヒーってしっかり淹れたらこんなに美味しいものなんやなぁ」と仰っていただきました。
取り組み甲斐のある嬉しいお言葉でした。
でも、美味しい理由のひとつは実はお水。
お水の秘密の話はまた今度。


一昨日は、GO TO 川越電撃ミッションを無事終えて(日帰り)帰阪し、眠い目をこすりつつカウンターに立つマスターです。
ここ数日の秋晴れは爽快で、見事な月にも見惚れて、霜月11月が気分良く始まりました。
そして今日は朝から雨。
今日の雨は、叩きつけるでもなく、体温を極端に奪うでもなく、肩に優しい慈雨。
なので窓辺が心地良い。
窓辺に投げる視線によぎる花は、ラベンダー。
ママの手折りし可憐な一輪。
西洋の花言葉では、「献身的な愛」だとか。ありがたや。
少し気怠い昼下がりに今日の静かな雨声が心地よい。
こんな日は、熱い珈琲と素朴なケーキが元気をつけてくれる^ ^


雨の日の椿事。
それは予期せぬ人の来訪。
一昨日のような冷たい雨の降る日には特に、油断していると不意を突かれる。
カウンターの隅っこで一人メガネ外して、この気怠さをいかにほぐそうかとうっぷす気の抜けたマスターの不意を完全に突いて突如現れた珍客。
「シ、シバテンやん??」。
実に3年ぶりか?

世界をバスキングで駆け抜けたディジュリドゥ奏者。その名声は世界十指に数えられほどの腕前。shibaten。

一緒にいると気分の良いnice guy!
彼の演奏のバイブレーションそのままに生きているwonderfulな男。
その波長は常にpeaceful。
彼の演奏を聴いて、生き方に触れて、その裏表のない姿は実に清々しい。
何があっても常に前向きな奴
(人によっちゃ眩しすぎて、見ちゃいられない人もあるかもしれないが)。
久しぶりにたっぷりと語らって、マスターもママもいい刺激を沢山いただきました^ ^
また会えるときに会いましょう。see you!

このバックギアのない男は雨上がりとともにその清々しい魂を次なる場所へと運んで行く。