Master's Voice

さすがに照りつける日射しには辟易だが、

青空のキャンバスに描かれる雲の紋様は底抜けに美しい。

お年寄りが仰いました。

「もう夏の終わりの雲のようだ」、と。

 

地震、水攻め、火攻めと、

このところ立て続けに容赦なく自然が猛威を振るう。

それが人々への警告であろうと浄化であろうと、

僕たちは新しい種を蒔く。

僕は僕の命を燃やす。

例えばその燈(ともしび)が歌うことで灯せるのなら、懸命に歌う。

 

今日のマスターは、歌う珈琲焙煎士。

来年もまた必ず歌いに来てくださいと、

皆さんに見送って頂きました。

 

夏の終わりの和み雲

いずれ散り散り失せるとも

明日には明日の雲の歌

 

バリ島の東方、東ティモールの西方、
インドネシア の秘境として知られるフローレス島。
水色の異なるカルデラが居並び、
標高2000メートルを超える火山が連なり、
海にも山にも大迫力の生態がうごめくところ。
コモドドラゴンというオオトカゲは有名。
そんな神秘の島にも珈琲豆が栽培されています。
品種は伝統のティピカ(アラビカ)種。
その完熟豆を丁寧に手摘みした逸品。
本業の焙煎士としての腕がなるなり法隆寺^^;

さてさて、どう料理する?

「善き闘いを成し終えて

永遠の御国に 入りし君」

 

送りの一日を終えました。

感謝に満たされたとても善いお別れが出来ました。

滞りなくすべてを為して、

涼やかな風に吹かれて

夕闇迫る空には冴えたお月様が微笑む。

 

申し訳ないが、哀悼というよりも清々しい。

この世界にはもうひとつどこか新しい次元があって、

物事は三段階の進化を経て

完成するのが宇宙の理であるらしい。

初め母の胎での海中生活を経て、

次にこの地上での陸上生活を全うし、

そして最期、死を経て宇宙的な胎から別の次元の世界へと新たに誕生をする。

それは、虫がまゆを出て、束縛から自由になって、

新しい身体、新しい存在、実体となって羽ばたくようなもの。

そういう理解が腑に落ちれば、死は結婚式に匹敵するほどの祝日(しゅくひ)となる。

だから、そんなときに陰鬱になったり、悲しくなったり、がっかりしては、

天に登って行く人を引きずり下ろすこととなる。

懸命に命を生ききった人のその勝利を祝してさしあげる。

そんなことを思えるほど感動のあった今日の送り日でした。

お義父さんお疲れ様でした。ありがとう。

またお会いいたしましょう。

 

歳を経て60にも近くなってきたら、

自然と向かい合う生き方こそが本当だと思うのです。

大地は自然は、

自分が投入した努力の分しか結果を生まない。

それは貸しのない世界。

投機性やら

一獲千金やら

賭博性とは無縁な

完全自給自立な世界。

報酬を願うという発想から離れた暮らし。

そういう暮らしの中で自分の趣味生活を謳歌するのだ。

そして、

「ああ、あの人のところに行けばおもしろい!」

そういう多様な美的感応圏を創り得る存在として

人生を仕上げて行けたら、

それが私の仕合わせだ。

 

夏の日の整列新幹線。

なんだか、冷ソーメンが食べたくなるのは俺だけか^^;

夏の日長に影さして

たそがれの街並みに風の吹く

人の活動は今日も姦しく

いのちは豊穣にして止むことを知らねども

落日まぎわの地平には

淡いかなしみが降るようだ

どこかさびしげな街並みを

義父(ちち)の病窓から見やる

明日のすこやかなりしを祈る

 

言葉には隠された、

或いは託された、

天の意図がある。

例えば、

「天国の門に至る

真の道のあるところ」、

それが「門真」の本来の意味。

太閤殿下の御代より大阪は大阪城を基点とするのが慣わし。

ここ門真は方角が北東、すなわち鬼門に当たる。

なので、逆に鬼に立ち向かって勝利を収めれば、

「門真」はひっくり返って「真門(まかど)」→「真の門」となる。

また、「まかど」転じて「みかど」→「帝(みかど)」の住まう高貴な土地ともなる。

かつて斎王(さいおう)と呼ばれる天皇の代身として伊勢神宮に仕えた皇女が任期満了に伴い京に帰還する際に禊の後最初に立ち寄る御宿所があったのがここ門真なのである。

そこにはかつて真手神社が鎮座した。現在は黄梅寺。

その時代、ここいら一帯は真手一族が権勢を振るっていたらしいが、

第6代と第9代の斎王は、真手王の孫娘が担ったとのこと。

天皇の代身として神に仕える斎王を二人も輩出すると言う歴史的由緒を秘めたる土地、門真。

松下幸之助翁の場合は、

鬼をねじ伏せて経営の神様にまで上り詰めてしまった。圧巻である。

もう一度言うが、

門真の由緒は神々しい。

現在門真神社には、真手神社も合祀されている。

鳥居は、松下幸之助翁による寄贈。

次は幣原喜重郎のことも語るべきや。

昨今流行りのパワースポット巡り。

別段山奥へ下らなくとも最強のパワースポットが地元にあるのであった。

ここは古(いにしえ)より、神気醸す土地柄。

故に、天国の「門」へと至る「真」の道をここでこそ見出せ。

 

土用干し。

このところの天気で

いい塩梅に梅が干し上がっております(^^)

今度のお出かけは日の丸弁当でも可!楽しみや(^^)

ようやく雨が上がって

長閑な日和が戻ってきました。

空の道には交通整理された綿雲。

今のうちにと飛び出し坊やが道を翔ける。

別にお天道様はそっぽを向いていたわけではなく、

天の軌道を今日も行く。

願わくばこの黄昏を

金色(こんじき)のエールを

明日もいただけますように。

 

そうして宴は始まる。

こんな時に不謹慎なことではあるのだが、

子供の頃は台風が来るのを楽しみにしていた。

NHKの朝のニュースで警報が発令されていた場合、

学校が休みになった。

大雨や大風や雷で家が軋んだり、電線がたわんだり、

破れるような空の大音声に

なんだかワクワクした。

結局本当の自然災害の怖さを知らないまま大人になった。

それは本当に有り難いことではある。

何年か前、大型の台風が本土に接近しつつあった夜、

何の采配か普段は顔を合わせることのほぼない面子が

一つ屋根の下に居合わせた事があった。

翌日は皆休日という事もあって、

その夜は遅くまで皆と遊び語り明かした。

時に超低気圧は集う衆のテンションを大いに盛り上げる事がある。

それもまた椿事と言うべきか。

今日のような夜は、

災害の不安に怯える方もきっと多くいらっしゃることでしょう。

出来るならば、心置きなく交われる皆さんと一つ屋根の下に集いながら

心丈夫に過ごされますよう。

 

止まない雨はない。