Master's Voice

平成30年も幕を降ろそうとしております。

今日お客様が、「マスターのとこ(エマのこと)、今日で開業4799日目ですよ」と教えてくれました。

なんでも「あと何日」とか言うアプリがあってそれを使うといろんな日数が一発で計算出来るんだとか。

と言うことは、明日新年元日でキリ良くエマ開業4800日!

「数字は意味を伴って訪れる」と言うのがマスターの信念。

「4800」は、4+8+00=12

12は、1+2=3

すなわち、3数に帰着する。

3は、3点が定まると円が描けるし、立体が立ち上がる。

なので、存在の安定数となる。

そして迎える平成31年は、

3+1=4

4数の年回り。

4は東西南北、360度全方向への舵を定め得る基数。

即ち、善なる発展繁栄の根本基台数だ。

家族にあっては、目標を中心に夫と妻と子供らの3点が合致し4数基台が整えば無限の発展と繁栄へと踏み出せる、

と言うのがマスター的解釈。

なので、今まで以上に安定した足場が整い、驚くべき発展的展開の待つ年になるのではないのか。

オーマイガー(≧∀≦)!

やったぜママ!

そんなことで相変わらずのノー天気ぶりを発揮しながら

新年に向けてほくそ笑んでいるマスターなのであった^^;

今年もお世話になりました(^_^)

皆さま良いお年をお迎えくださいませ!

 

P.S.本日は大晦日特別深夜営業致します。

夜22時より翌2時まで開けております。

尚、新年は、1月4日(金)からの営業となります。

冬至から早も七日を過ぎて、

あと三つ寝やればお正月。

街のガスもようやく垂れ流しが止み、

空が久しぶりに美味い空気を吸ってやがるぜ。

日の本の国の男の子(おのこ)の端くれとして、

マスターもまた東奔西走しつつ新年の準備に勤しむのであった。ガンバレ。

取り敢えず今日の大事は冬野菜の確保だ。

マスターの祖父さんが開拓して今や三代目の兄さん(従兄弟)が跡を引き継ぐ畑に、

選りすぐりの野菜を頂きに参上。

この畑には、昭和50年代からのうちらの一族の歴史が刻まれているのだ。

何か深刻な問題事には、「祖父さんの畑で話そ」と、

今のうちらの世代には失われた血族の喧々諤々(けんけんがくがく)の遣り取りの歴史がその土には染み込んでいるのだ。

その主らも今や鬼籍の人々。

だからこそここの野菜は、

マスターにとって特別に滋味深い。

日暮の地平は見事な金色(こんじき)。

冥土の穴が覗いているかのような空の境は深い漆黒。

この地には過去も未来も

此岸も彼岸も全てあるよな

野菜引く。

(これはあくまでも夢の中での話なので、呉々も過剰には反応なさらないようお願い申し上げます^^;)

今日のような清々しいお天気の気持ちの良い芝生の広場で何人かとぼんやりと集っておりましたところに、

ふらっと英五さんがやって来たのでした。

でもどうやら英五さんのことが見えてるのは、マスターだけのようでした。

英五さんは相変わらずの大柄で厚手のセーターを着込み、お顔はとても穏やかで笑みを浮かべていらっしゃいました。

「どーも、どーも」という挨拶を交わした後、マスターが何故か放った言葉が、

「ご家族の人間関係が大変みたいですね」ということでした(それが本当かどうかはマスターにはわからない)。

それに対して、英五さんが相変わらず穏やかなお顔でおっしゃるには、

「人はなぁ、愛して赦せるようになる訓練せなあかんからな、俺も手出しがでけへんねん。

でもな、俺がついてるから大丈夫やねん」と応えられたのでした。

そして、「今日はここでゆっくりしていくわ」としばらく寛いでから「またな」と行かれました。

今朝はそんな夢で目覚めたマスターでした。

何ゆえこんな夢を見たのか、さっぱり意味はつかめませんが、

でもお元気そうな英五さんと触れ合えてラッキーでした(^^)

今日もいい日だ!

 

12/25 エマのおやすみラジオおやすみソングは、#アメージンググレース

エマコーヒーさんの投稿 2017年12月25日月曜日

平成天皇最後の天皇誕生日。

慈愛と優愛を感ずる御会見でした。

そしてマスターは、ご近所のデイケア施設でのクリスマス会で今年最後の演奏でした(^^)

村岡先生、今年も一年ありがとうございました(^^)

振り返れば、村岡先生とのユニット「グリーンノーツ」で今年は21回演奏をこなしました。

そしてママとは、4回演奏。

マスターソロでは、5回か?

あっそうだ、そこにサバイバルも入れれば、

なんだかんだと都合30回以上の演奏を人前でこなした事になります。

自称「歌う珈琲焙煎士」なんて日頃ほざいておりますが、

なかなかの面目躍如ではないかと、

一応ここだけの話、◯万円くらいは稼ぎましたぜ三河屋さん(*?-?*)

好きなことさせてくれる奥さんに感謝です(^^)

さすが人間国宝や!

来年も本業、趣味、公私に渡り活躍出来れば、マスターシアワセです(o^^o)

陛下ほどの力はありませんが、来年も皆様の安寧を願いつつ慎み深く演奏活動を続けて参りたく存じます(^^)

それもまたほんの一瞬の出来事。

そこにいないと出会うことが出来ない風景がある。

珈琲には、リラックス効果があると言う。

香りを嗅いだ瞬間の脳波にα波が検出されるらしい。

それがどの程度のα波かは知らないが、

果たしてそれは、青空を見上げた時よりも効果は高いのか?

冬の凛とした空気に浸る時の静けさよりも心が落ち着くものか?

リラックスするとはリセットすること。

なのでマスターは、基本「ゼロ場」を探す。

「ゼロ場=すべてが生まれ、すべてが帰る所」と、マスターは定義する。

そんな大仰なこと言わなくたって、ゼロ場はそこかしこに在る。

陽だまりに映る草の影。

生駒の山並みの静けさ。

曇りの日の南天の朱い実。

晩秋の古寺の大銀杏。

神社の水盤に煌めく光。

野焼きの匂い。

すなわちそれは、美しさに触れること。

いたってシンプル。

いつだって今この時にしか出会えないとっておきの美が私を取り巻く。

朝まだきの散歩道、

ひと時の静けさに声を聴く。

振り向いた先には落ち葉の絨毯。

風が絨毯をめくると

そこには愛らしい木ノ実たち。

冷え込む朝に眠っていた

暖かい光景に

シアワセのお裾分けを頂いた気分です。

帰ったら熱い珈琲をいただこう。

残り僅かな年の瀬を

皆さまシアワセに過ごされますよう。

 

昔の線路の盛土(もりど)には、

畑や花壇や物干しや犬小屋や

小さな子供の遊び場まで、

いろんな暮らしの風物が息づいていておりました。

ヨモギに土筆に菜の花に

無花果は子供には苦手だったけど、

近所のお年寄りもお母ちゃんも

夕餉の支度の線路の土手路。

今はしっかりと金網で仕切られてしまって、

やたらとゴミが吹き溜まる。

昭和38年生まれの僕が見てきた時代とは何だったのだろう?

平成の人たちとは

やはり見え方が違うのだろうか?

これから先の人たちは、

更に何を見届けて行くのだろう?

時代は変われど佇む樹々のひたむきさよ。

在りて在る凡ゆるを統べる真は在るのかな。

まごころをひたむきに掘り下げて行きつく先のその先へ。

日々、如何なる言葉と向き合うのか。

私が用いる言葉が、

私の思いを形作り、

私の暮らしの質を定め、

私の人生を決めて行く。

言葉の偉大さ故に師は語り続ける。

詩人は言葉に羽を見い出す。

歌い手は心を揺さぶる言葉を調べに乗せ、

画家は声なき言葉を絵筆にて紡ぐ。

数学や物理が存在の成り立ちをやっきになって解明せんとする数式もまた、

言葉。

私は私自身を私が選ぶ言葉で育んで行く。

言葉を契機に思いを深め、

深めた思いからまた言葉に帰り、

その言葉からぶれないように暮らしを綴る。

それが誠実に生きるということだろう。

成る程、誠実の「誠」は、「言」葉が「成」ると書くではないか。

聖人となるよりも、誠人と成りたいものである。