Master's Voice

2月の陽射しを浴びていて、ふと光の粒が見えた気がした。

眠気まなこを細めて見ると、それはなんだか粒というよりもあわあわとした流れのようでもあり、

どうもそいつが、凡ゆるの芯まで入り込み、せきたてているかのようであった。

とりわけ、それはたなつもの(草や木や種)との相性が良いようで、

枝葉も地面もそのawa(あわ)にほころぶ。

それもそのはず、光合成は植物の専売特許だ。

(光合成の効率だけを考えれば、植物は光を最も吸収する黒になるを選んだはずだ。

そうならなかったのは、光を独り占めしない為ではないか。

自然は常に、全体への配慮を伴って進化するのだ。

その一点からしても、進化論の嘘が知れる。)

「あ」は、凡ゆるの創(はじ)まり。「わ」は、完結を意味するので、光の粒のことを「あわひ(awai)」と呼ぼう。

「ひ」は、「陽」であり大和言葉では「魂」。

なので、野菜を食べることはこの「あわひ(光の粒)」、即ち、凡ゆるの基(もとい)を体に取り込むことを意味する。

結論。

春野菜は食べた方が絶対にいい。

*掲載の写真は、友人から頂いた写メです。

霧にむせぶ朝、今年も麹が届く。

エマではもうここ何年も麦味噌と米味噌は手前で仕込んでいる。

古来この国に於いて「たねもやし」と親しく呼称されながら和食の礎を築いてきたのが「麹」である。

麹の文化史を辿れば、この国の先人たちの眼力や職人技や審美眼がいかに神がかった領域を凌駕していたかを知れるのであるが、その話は措く。

霧にむせぶ朝に届けられた麹。

暦の上ではすでに大寒の候であるのだが、今年は冬と言えども空気が生ぬるく、なんだか妙だ。

なので、麹を仕込んでゲンの悪さを吹っ切ることにする。

取り敢えず、甘酒。

私の腸になるったけ、麹を仕込み免疫を高める。

よその国の変な菌になんか負けない体を作る。

日本古来の風土の持つ力で自助力を養うのだ。

昨日16日は、お義父さんの月命日。

新年のご挨拶にお墓詣りへと行く。

場所は伊勢湾までも道の開ける(見通せるとの意)鈴鹿の某所。

まだ明けきらない早朝に家を出て大正解。

快晴の空には、日の出と月の入りと、待っていたよと言わんばかりの飛行機雲の白十字。

お供えした御重とパンと赤福は、いずれもお義父さんの大好物。

もちろんその場でエマコーヒーも淹れて、ご先祖様共々朝餉のひと時。

その後は、道開きの神様(猿田彦)の座(おわ)す

椿大神社を参詣。

松下幸之助翁所縁の茶室でお茶のお点前をいただき、

最後は、片山温泉にて竹林を愛でながらの露店風呂を浴び心身緩めて、途中に逸(はぐ)れザルも目撃しながら帰阪しました。

湯のけむり 凍てる竹林 小正月

或いは、

湯けむりの 竹林に居たはず 猿田彦

今日のまかないは、

子供から大人、爺ちゃん婆ちゃんまで、皆んな大好き「お子ちゃま押し寿司」。

もちろん、非売品です(^^)

御堂筋を一張羅纏い赤ら顔した一群が、我が物と言わんばかりに闊歩する。

昨日閉店後に出かけた都心では、そこかしこで若者の華やぎを見かけた。

昨日は成人の日。

私もかつては若者であったが、だけど何を隠そう私は大層暗かった。

一人ぼっちで成人式へと向かい、古い友達の誘いも断って、一人孤独に帰途へと就いたあの日。

人と集ったり、つるんだり、華やぐことの一切に馴染めなかった当時の私を思い出して、しばし酸っぱい感傷に浸ってしまった。

他人の二十歳の気分のことなんぞ、終ぞ知らぬまま私も今ではオッさんとなったが、でも若者よ安心したまへ。こんな私でも今は生きることを楽しめている。

願わくば、これから歩む人生の山や谷に精一杯、真摯に当たってみてください。

それを振り返る時に、全てが感謝となりますよう。

君たちの火照る頬に冬の月

何かいいことありそうな、

今年の夜明け。

新年明けましておめでとうございます。

旧年中はたいへんお世話になりました。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

尚、エマコーヒーは14日(土)からの営業となります。

皆さま、佳いお正月をお過ごしくださいませ(^^)

こう見えて、エマは、この世の繁盛店と言う部類には全く属さない店ではある。

と言うか、そもそもこの世の慣わしにはそぐわない人間(当主)が営んでいるのであるからして、当の店主の投影としての実情が反映されているに過ぎない。

この地に暖簾を提げて14年歩み来たとは言え、日々の売り上げは未だに4桁に止まり、貸借は今以て8桁の負債を抱え、還暦は容赦なく迫り、しかし年金はすでに受給資格は無く、健康と体力の維持にのみ頼み100歳現役を標榜し、それを真剣に模索している始末である。

まともな神経の生活者であればとっくに音を上げているのかもしれない。

残念ながら、自分は商売の才覚や運には恵まれていないようである。

若い頃は、こんな自分の生活者としての体たらくに絶望もし打ちのめされもし地の底に這いつくばって凍えていたものである。

(我、寒いか?ああ、寒い。)

だけど今の私には、そんな私の無能ぶりを知りながらもいつもそばで暖めほぐし続けてくれる人がいる。

この世に救いがあるとするならば、それは身近な人のぬくもりであり、その人の献身的な支えに他ならない。

今日22日は、冬至。

陽の陰りのピークが今日をもって閾値となり、

明朝昇る陽は、今日よりも時間にして約130秒、長くなる。

降り注ぐエネルギーにも満ち欠けがあるのだ。

吹き荒れる寒波の空にも陽の光。

冬至の夕空よ、大切な願い事をひとつ叶えてはくれまいか。

もしも救い主がまことに来臨されるのであるならば、願わくば私の大切な人のところに臨んで下さいますよう。

そしてどうぞ、

スベテノヒトニエガオノアシタヲ。

道具よ道具。

人が己が想像力を掻き立て、知力を駆使して創りあげたる物よ。

そのフォルムの美しさは汝の卓越した美意識を宿す。

人はその道具をして更なる地平へと踏み出し続けるのだ。

願わくば、心ある者の道具が心ある者へと行き渡り、

人々の暮らしが彩りと潤いで満たされますよう。

(素敵な手作りのドリップ台をいただきました。

ありがとうございます^ ^

「この手のケロイドはね、子供の頃の霜焼けの名残りなんよ」。

その人の霜焼けは骨がさらけるほど酷かったらしく、

両手両足を包帯でぐるぐる巻きにされて、毎日乳母車で押されて、教室ではノートを取ることもママならなかったが、それでも毎日学校へは欠かさず通ったという。

そんな日々を3年ほど過ごした結果、試験なんか誰が書いてやるものかとその意地から回答用紙の白紙提出を中学を終えるまで貫いて、結果、高校へは上がれず、求職した会社にも試験があって勿論白紙で提出して不合格となり、

已む無く親族の営む縫製会社に拾ってもらい、無口で人嫌い、口にする言葉は文句だけという青春時代を過ごし来たそうな。

そんなこの人のお母さんが、この子には何か信仰を持たさなければえらいことになると心配して方々連れ回ったらしいが、神仏何ぞに勿論心を開かず、お布施なんかドブに落ちた1円でさえしてたまるかと罵る始末。

そんなこの人が、熱心なキリストの伝道師となって60年。今や傘寿の齢を過ぎて、いまだ欠かさず通って下さる。

今日、その方の問わず語りに耳を傾けながら、

どんな人にも人生の曲がりくねった道行きにとっておきの物語りが潜むことを思う。

その方の根に張る徹底したその強情さにも神の愛。その縁(えにし)に導かれし人生は、やはりしあわせであったことであろう。

私も主を賛美致します。

笑間珈琲PV

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