Master's Voice

今日のエマは、

一食限定八重山そばの日。

マスターがゲットしました!

なんでやねん(><;)

あー、おいしかった^_^

今朝のような空を眺めていると、

知らない町を歩いてみたい。

どこか遠くへ行きたいなぁ。

たまには、秋風に吹かれて

旅をするのもいいもんだ。

僕のリュックにはコーヒーキッド。

近所の緑道公園も秋み がかって良い感じ(^^)

10月最後の日曜日。

How are you?

I’m fine thank you!

「敏雄お父さん、ご逝去100日追慕に寄せて」

 

時の過ぎゆくは残酷である。

楽しい語らいの時間も

青春の燃える情熱も

うっとり溶けあう愛の情交もいつしか過ぎ去る。

そして大切にしていたものは無残に朽ち、人は老いて勢いを失う。

今しがたそこにあったものは手元から消え、

昨日出来たことが今日は出来なくなる。

人は焦り、懐古し、悔恨し、後悔を感じる。

自分が手に入れたもの、

自分のしてきたこと、

自分の人生のすべてに果たして意味があったのか。

なぜ時間は過ぎてゆくのだろう、

なぜ大切なものは朽ちてゆくのだろう、

なぜ人は老いてゆくのだろう。

考えてもこの世の知識は明確な答えを教えてはくれない。

そこには厳然とした冷酷な事実があるだけだ。

ただ一つだけ、答えを示してくれるものがある。

それがこの大自然と宇宙の理、すなわち原理である。

原理を紐解いていくと、次の時へと受け継がれて行く

幸福と価値と命があることに気付かされる。

楽しい語らいは次の語らいへと引き継がれ、誰かを待ち受けている。

成功も失敗も次代へのノウハウとなり

大切なものは新たな価値を担って次の人に受け渡される。

同様に、老いた私の命は、次の命へと引き継がれて行く。

幸福はひとり占め出来ないようになっている。

この世に誕生した物や命が次の幸福に引き継がれてこそ

この地球全体が幸福に包まれる。

今日の幸福な時間は、次の幸福を生むための大切な時間。

だからこそ、幸福な時間は次の幸福を生むために

いつか必ず終焉しなければならない。

芽生えた植物は花を咲かせ、種を付けて、次の命へと繋がる。

それが「命のリレー」である。

枯れて朽ちることを、終焉することを恐れる必要はない。

大自然と宇宙の中では、それは必然であるのだから。

幸福がすべての存在に満遍なく行き渡るように、

私も去り行く必要があるのだ。

時は決して残酷ではなく、

それは愛と命と幸福をすべての人に分け与える為に、

「命のリレー」を繰り返しながら、

いつも静かにそこに存在している。

 

今、敏雄お父さんの種は確実に受け継がれた。

そのこと以上の祝福はない。

見ることの出来なかった希望の未来は、

これからも子孫の命を通して共に見、味わい、分かち合う。

すべては神の御手の中で。

 

(注:上の文はある方の文章を下敷きに加筆・再構成したものです)

不憫な心に血糊見て

私の心もぞぞめいた

息も重たくうつむいた

今日のみそらは秋晴れの

寿ぐ祝詞を満たすと言うに

空を仰ぐも儘ならぬ

君が胸に吐き溜まる

悲痛にくれた苦き血の

杯を飲み干すか君

星のさやかにすみ渡る

しじまの闇にうつふして

君が心に橋がけて

私は祈るを覚悟する

社会通念においては

善しとされることでも、

魂のレベルにあっては赦されないことがある。

逆に、社会通念上はペナルティでも

魂のレベルではあっぱれなこともある。

なんの話かと言うと、

沢田研二さんのことです。

今回の騒動で相当にバッシングを浴びているジュリーですが、

マスターなんかは、ジュリーにあってはそれもありかな、と思ってしまう。

大人としての良識からすれば客の入りはどうであれ、それは周知決定事項の仕事として責任を果たすべきだろう。

どっこいジュリーはロックンローラーだ。しかも、レジェンドときたもんだ。

??

つい最近(今回の騒動前)、sns上で「今のジュリーが見る影もない」的なタイトルを見かけて気になってサイトを覗いてみたのですが、体型が崩れて頭も禿げてという何のことはない記事でした。

同時に彼の検索を続けて行くと、

今もって(過去のヒット曲に頼らず)精力的にアルバムをリリースし続けていること、

ライブも欠かさずかなりの頻度でやり続けていること、

案外政治や社会情勢に歌で物言うアナーキーな歌手であること、

過去の実績にあぐらをかいてテレビに出るようなボワっとした歌手ではないこと等々。

ジュリーって七十歳になった今でもデビュー前のマインドを忘れてないバリバリの現役のロックンローラーなのかもしれない、カッコいいなぁというのが正直な感想でした。

そして今回のこの騒動。

この騒動の責任を真っ向から受け持つことを宣誓したジュリー。その生き様に、今後この騒動がどう反映して行くのか。とても興味のあるところです。

そっちに行けば茨の道になることをわかっちゃいながら敢えてアウトローを選ぶ、

そんな人に魅了されてしまう。

批判派も賛同派もそろそろ矛先を自身の魂に向けて、

人のふり見て我がふりをどう決定づけるのか、

一度きりの人生に置き換えて考えて見るのが良い。

ロックな人生が俺を魅了するぜ。

秋の空はことのほか感傷を呼び覚ます。

私は結局、

何もわからないまま

何もつかめないまま

人生を終えて行くのかもしれない…などと。

空の奥行きと

色彩と造形の流転の狭間で

目を見はり

息を凝らし

この身を晒す。

言葉におこし得ない言葉が

沈黙の間合いに無限にひしめく。

つるべ落としの夕間暮れ

圧倒的無限の前に押し潰されないよう腕を振る。

 

さてさて、

人間 心の持ち様がどれくらい暮らしに反映しているものであろうか?

例えば、

喧嘩してむしゃくしゃした心で淹れたコーヒーは旨いか?

憂いの気持ちで仕込まれた梅干しの味は人を悲しくさせるものか?

ささくれた心で作られた楽器の音色は人を癒し得るのか?

苦手な相手と取り交す商談には嘘が入り込むものか?

等々。

悲しいかな、人は存外心とは裏腹なところで生きていることが多い割にだからと言って、?

その心の持ち方が全てネガティブな結果を招くとは限らず案外上手くいったりもする。

本当は、良いも悪いも五分五分。

損も得も五分五分。

人は結果をすぐに問いたがるけれど、

招いた結果に一喜一憂しているうちはこの世の業からは逃れられぬ。

人を騙し、脅しすかし、排除して安楽な立場にのさばりそれを成功と吹聴する輩がいるのも世の常かもしれんが、

のっぴきならない事情や憂いの境遇にあろうとも、

ただ、今、ここに在る、私の心の在り方にこそ専心すべきが人の道。

私の心は喜びや感謝や赦しやまごころや未来への希望や情熱を宿しているのか。

それを呼び覚ますことにこそ人生専心すべし。

さすればこそ花は咲き実は稔る。

今日は10月10日。

右と左に10目盛ずつ。

その天秤の支柱に立つのが私。

酸いも甘いも噛み分けてバランス良く生きて行く。

右にも左にも「ありがとう(10)」をぶら下げてね。

香りのお届け物。

「金木犀」。

花は小さく可憐で慎ましく緑の葉っぱに隠れ気味。

香りは芳(かぐわ)しくも優しく穏やか。

花色は煌き過ぎず抑え気味の橙。

そしてその花は雨にあたって潔く散る。

その芳しく甘い気配は遠くからも知れるけれど

主張を控えた沈黙の姿に

その緑の充実に

心を奪われてしまう。

あの出会いには真実があったのだと

若き日のあの秋の記憶に陶酔する。

今回の台風ですが、

ここ門真では何事もなく通り過ぎて行きました。

上を向けば清々しい青空。

下を見やれば鮮やかにガーベラ。

風は颯爽として身をこなす。

10月の始まりとしては上出来だ(^^)

笑間珈琲PV

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