Master's Voice

今月からの新趣向として、「その場焙煎珈琲」なるメニューを加えました。
オーダーを受けてからマスターがおもむろにその場で手網焙煎して、
煎りたて、挽きたて、淹れたての正に三たて珈琲をご提供して差し上げると言う、
手間暇を目の前でかけた、ちょっと贅沢な珈琲です。
もちろん、混雑時にはお受け出来ませんが…(^^;)
今日は店の暇にまかせて、自分のために「その場珈琲」を作ってみました。
セレクトした豆は、ハワイアンクイーンコーヒー農園の逸品、ハワイコナエキストラファンシーです。
生豆30グラムをゴマ煎り器に放り込んで、ガスレンジを中火に設定して、
ジャリジャリ、ガサゴソと煎ること約16分。
丁度ハイロースト位の焙煎度に、きれいに仕上がりました。

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早速、2杯分抽出して、ママと二人で珈琲タイムです。
一口啜って、二人同時に「美味い♪」と合唱しました(^^)
広がりのある豊かな酸味は、流石ハワイコナと納得させられます。
美味しい味わいに思わず甘いものが欲しくなり、
「試食しておかないといけないよねー」と言い訳しながら、
今シーズン初めてママが作った石垣島パインケーキ(クリームチーズ入り)を頬ばりました。
皆さんには誠に申し訳ありませんが、至福の喫茶タイムを過ごさせていただきました(*^^*)

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うちのママは、お料理上手!
と、マスターは、心底思っております。
今日も、茄子のあげびたし、美味しかったなぁ(^^)
数ある絶品料理の中でも、とりわけマスターは、塩むすびが大好きです。
その絶妙な塩加減と結び加減。
決して固くなく、ゆるくなく、口の中でほろりとほどけゆく絶妙な結び加減。
この優しさと揺るぎなさは一体何なのだろうと真面目に考えてみました。

そもそも、おむすびは、「お結び」と書く。
両の手と手を印を合わせるが如く結ぶ形そのものに、
自ずと結ぶ者の心が祈りとなって宿る。
古来、大和言葉にならえば、
「むすび」という音は、「産霊」とも「産巣日」とも書かれた。
むすびの「び」音は、霊=タマシヒの「ヒ」であり、太陽の「日」なのである。
そもそもおむすびを握るとき、その手の平には水と塩が盛られ、メシ(米)が加わり、
これは神道における神聖なるお供え物の体となる。
水と塩の合一が意味するもの、それは「血潮」である。
「米」はその字面からも解るように、
中心から八方に向かって光が発せられており、即ち地を覆う力となる。
因って、おむすびとは、母の血潮を持って握り込められたら祈りであり、
人が喰らうことで地の八方に向かって天の心を伝える力となる。
かくておむすびは、天と地を人を介してゆるがぬ絆を持って繋ぐ結びつきそのものとなる。

さて、これを大袈裟なこじつけと見るか、
あるいは、霊は体を表すと言う理(ことわり)ととるか。
難しいことは抜きにしても、母の手の温もりで握られるおむすびこそは、
一切の食の原点であり、手に塩をして、手塩にかけて我が子に心を伝える、
母が子に贈る教育以前の原教育、
それがおむすび。

母よ、子等におむすびを!

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今年も前半を終えて、早下半期が始まろうとしています。
盛夏も間近也。
皆さま、

良き後半戦を出発いたしましょう(^^)

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6月26日(火)

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只今エマ通信製作中
マスター、集中しております( -_-)ジッ

流石に、近づく低気圧(台風)の影響か、

今日は朝から閑古鳥…。

でもマスターとしては、こんな日があってもいいさと、

雨の日の暇(いとま)を楽しんでおります。

調べ物をしたり、整理整頓に励んだり、物思いに耽ったり。

いかなる状況にあっても、時間は刻・刻…と進んで行きますが、

ここいらで小休止。

自分のために点てる珈琲タイムです。

 

今日は、昨晩焙煎したばかりのエチオピア モカハラーG1を一献(気分は一献w)、自分に(^v^)

もちろん、焙煎の仕上がり具合を確かめるテイスティングの意味合いを兼ねての一献ですが…。

 

電気ケトルに汲み立ての水を入れ、温度計を突っ込んで、スイッチON。

そして、お気に入りの珈琲カップも用意。

温度計が90度を指した瞬間にスイッチを切り(決して沸騰させない)、

ペーパーフィルターにそのまま熱湯を注ぎかける。

続けてドリップポットにも湯をたっぷり湛えて、温度計を突っ込むと、湯温は88度といい感じ。

次に計量した豆を電動ミルに放り込んで、ダイヤルを5に(中挽き)合わせてグラインド。

この瞬間に湧き立つ薫りが、珈琲の醍醐味の一つです。

先程フィルターにぶっかけてサーバーに溜まっている湯を珈琲カップに注いで、カップを温めておきます。

砕いた豆をフィルターに入れて、表面をならして、いよいよドリップです。

マスターは、ドリップの時の水勢(水流の強さ)に気を使っています。

基本、粉をかき回すような水勢は避けるべきと考えています。

あくまでも珈琲の旨みが自然に滲みだすイメージで、優しく細くお湯を回しかけます。

蒸らしの時間は、20ー30秒くらいでしょうか。豆の膨らみ具合を見ながら、お湯を注ぎ足します。

珈琲の旨み成分は、抽出の初期(初動時というべきか?)にほとんどが出尽くしてしまうので、

蒸らしから一投目にかけてに神経を一番使います。

後は、濃度調整の為の抽出という感じになります。

サーバーに溜まっていく珈琲液が一杯分(130から150ccほど)に達したら注湯を止め、

素早くドリッパーを外します。

出来上がった珈琲をスプーンで軽くひと混ぜしてから、温めてあったカップに注ぎます。

 

本日の一杯は、エチオピアモカハラーG1。

一口啜ります。

モカ特有のマスカットを思わせるフローラルフレーバーが鼻孔をせり上がってきます。

優しい酸味が口内に広がります。

喉越しに、円やかな苦味の奥にほのかな甘みも立ち上がります。

そして、静かにマスターは、珈琲という飲み物に感動を覚えます。

お恥ずかしながら、今日の珈琲には涙さえ流します。

それくらい、美味しい珈琲でした。

 

時間の経過と共に、刻一刻と珈琲の味わいは変化して行きます。

一期一会の珈琲との佳き出会いが、皆様にも訪れますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月11日(月)

無限界に成長を指向する意思の働き。

その働きは、止まることを知らず、

かつ、未来へとはるか受け継がれて行く。

命は、個体ごとに発現するものではあるが、

個々の所有物といった性質のものではなく、

あくまでも、全体的な調和と成長に与する。

その証拠に、

私は私の臓器の働きを自在に操ることは出来ない。

私は私の体内代謝を自分の意志では制御し得ない。

命の営みはいつも、

私の意志とは全く別の所で、「私」を活かしめている。

命とは、無限界に成長を指向する「私」とは違うものの意志の働き。

その命を宿す肉体にまたがって、私は生きる。

「私は私を、命に委ねて生きてゆく」

それが自然の成り行き。

命は、何があろうと成長を指向する。

私は命に導かれて、自然と成長する。

命に働く大事な属性、

それは、命はおのずと花を咲かせる方向へと働くこと。

実を付けて、種を結び、

そして、命の芽吹きは

はるか受け継がれていく。

命は自分の所有権に含まれるものではなく、

その帰属権は、宇宙にある、

としか言い様が見当たらない。

ですから、当然の結論ですが、

自分の命も、他人の命も

「殺す」ことは、

絶対に誤りです。

連綿と続く、命の繋がりを担い、

近い未来、共に花を咲かせる役割を担い合った、

尊い預かりもの、それが私の命。

 

命を傷つける痛ましい出来事が、

これ以上起こりませんよう、

心から祈ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月6日(水)

生きる上で最も大切な事は、誰もが教えるように「愛」であると。

そして、その心を持った上での社会貢献である。とすれば、

結婚の真の意義は、愛の成長と社会貢献にあるはずです。

生きて行く上で、誰もが気付かされる事は、「愛」とは

決して生易しいものではなく、生々しい痛みを伴いつつ育み合う、

人生最良の価値である、という真実でしょう。

結婚は二人でするものですが、実際は二つの家系、氏族が

縁を結ぶ事であり、すなわち、異なる相手の文化を受け入れることでもあります。

ならば、結婚とは、歴史の中で生じたあらゆる怨恨を克服する道ともなり、

その観点からすれば、大変な波風があって当然の道となります。

ということは、最後はもう、結婚には「愛」と「真心」でしか

立ち向かえない、という結論になります。

夫婦が築く家庭が、愛の光で明るければ、世の中は必ず明るい。

それは大きな社会貢献です。

ママとマスターが仲良しなのは、人生の根本認識として、

この様な価値観を共有し合えているからでしょうか。

 

 

 

 

 

6月5日(火)

そもそも、若き日のマスターは(今も多少そうですが)、

生きる事に全く自信が持てない、超ネガティブなタイプの人間でした。

内省しすぎると言うのか、いつも劣等意識にさいなまれて、

人の目をまともに見てしゃべることが出来ない位、超内気な少年でした。

ですから、その時代のマスターのテーマは「無為自然」。

いかにすれば、等身大の自分を素直に生きることが出来るのか、

そんな事ばかり考えて、日々を悶々と過ごしておりました。

そんな風でしたから、異性とまともに向き合って話が出来るような

精神状態ではなかったし、実際、異性と交際したこともありませんでした。

そんな思春期の自分にいつも言い聞かせていた言葉が

「待たず、追わずの心持ち」というものでした。

待ち人が向こうから来てくれる事をひたすら待つでもなく、

必死のぱっちで追っかけ回すのでもなく、

そんなことは自然にゆだねておけば良い、という心持ちです。

自然界は全て、陰と陽のバランスで成り立っているのだから、

時が来れば、こんな自分にも必ずや良き伴侶が現れるはずと、

だから、その時までは、己を成長させる事に邁進すべしと、そう心に言い聞かせておりました。

そしてママと出会いました。

「妙縁」。そんな言葉があるかは知りませんが、ぼく達は、初恋にして

初愛同士の出会いでした。

 

 

 

 

【マスターの恋愛観、そして夫婦論】

“June Bride”。「六月の花嫁は、幸せになれる」とは、

ローマ神話に登場するジュピターの妻ジュノーが、

結婚生活の守護神である事に由来するそうです。

ここのところ、笑間とお付き合いの深い友人たちが、

立て続けに結婚して行きます。

先月は披露宴にご招待に与りましたし、

今月は今月で、ご入籍の方がおられます。

この先、他にも多数、ご結婚予定の方が控えていらっしゃいます。

不思議な位今、笑間は、ブライダルラッシュです。

 

お客様からよく「マスターとママは何でそんなに仲がいいのですか」と

質問を受けます。あるいは、「ママとマスターを見習いたい」とか、

「お二人は奇跡の夫婦ですね」とまで言われます(汗)。

まぁ、自分で言うのもなんですが、私たち夫婦は仲良しですねぇ。

結婚して既に13年、付きあっていた時代を含めれば、もう20年以上も

一緒に居ることになります。

仕事でもプライベートでも、四六時中顔を突き合わせていますが、

マスターは飽きることがないですね。もちろん、たまには喧嘩もしますが、

いつも楽しく寄り添いあっております(照)。

今回は、そんなマスターの独身時代の恋愛観を少々お話します。

 

明日につづく。

 

 

 

こんにちは!今日は、マスターの登場です。

たまには、珈琲のことをお話します。

ご存知の通り、コーヒーの木(アカネ科コフィア属)に花が咲いて、

実が稔り、果実(コーヒーチェリー)の中の種子の部分が珈琲豆です。

当然のことですが、珈琲豆は農産物であり、従って、生鮮食品です。

何が言いたいのかと云うと、珈琲豆には賞味期限があるというお話です。

一般に、スーパー等、小売店で販売されている珈琲豆のパッケージを見ると、

賞味期限が一年となっています。

日々、珈琲と接している立場からの見解を正直に申すならば、

珈琲が美味しく飲める期間は、

『豆の状態で保管して、約一ヶ月』、

『粉の状態なら、約一週間』。     

これが、限度です。

この期間を過ぎると、豆の酸化・劣化が進むため、

「胸やけがする」、「変に酸っぱい」、「身体に良くない」、

そんな珈琲になってしまいます。

よく聞くお客様の声として、「酸っぱい珈琲は、苦手」、と言うのがあります。

これは、酸味のある珈琲が苦手と言うよりも、

酸化の進んだ、劣悪な珈琲を飲んでしまっている可能性が高いと思われます。

生鮮食品である以上、どんなに素材が素晴らしかろうが、

焙煎技術が匠であろうが、

真空パックが施されていようが、

何ヶ月も経過してしまっていては、美味しくなりようがありません。

『珈琲は、一ヶ月しか美味しく飲めない』、

という事実は、残念ながら、一般の人にはほとんど知られていません。

この事実がもし、メディア等で世間一般に広まることになれば、

当然、スーパーや小売店では、珈琲豆は扱いにくくなってしまいます。

ですから、大手メーカーは、この事実を出来るだけ隠そうとするわけです。

昨今、珈琲の健康効果が、広く知れ渡ってきました。

しかし、それは、あくまでも、新鮮な珈琲豆であることが大前提です。

いくら素材が良くても、腐ったものを口に入れてしまっては、毒にしかなりません。

再度、繰り返しますが、「珈琲は、生鮮食品です」。

そして、美味しく飲める期間は、せいぜい、一ヶ月なのです。