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Master's Voice

こんばんは、マスターです。

毎月一回発行しておりますエマ通ことエマ通信も

今月で創刊以来丁度三年となる36号目を昨晩、無事に配布し終えました。

マスターの完全手書き、かつ完全責任編集の読みづらくもあり

マスターの手前がってな偏向新聞であるにも拘らず、

これが意外とファンがいてくださるのです、ありがたいことに!

「毎月楽しみにしてるのよ」とか

「欠かさずファイルに保存しています」とか

「マスターのエマ通り(?)、ええわ」とか

「いつも楽しみやねん、エコ通信(?)」など

少し勘違いも含めて、多くの方々にお目通しいただき、

本当に感謝感激です。

「毎月大変でしょ」とねぎらっていただきもします。

マスターとしましては、月に一回の行のようでもあり、

自分へのチャレンジという意味ではやりがいを感じております。

毎月1200部印刷し、200部はお店や郵送用に、

残りの1000部をエマの界隈にポスティングして廻ります。

毎月末、夜な夜な、ぬき足差し足で闇に紛れるマスターです。

たまには、犬に吠えられたり、不意に出くわした人に怪しがられたり、

いまだ慣れないストレスもありますが、

私の住む街に灯を私の一歩一歩で点けて廻りましょう、

なんて殊勝なことを思いつつ、鼻歌交じりに一軒一軒訪ねています。

なんせ、エマはローカルヒーローを目指していますから。

「継続することが力だよ」と、皆さんに教えていただきます。

ありがとうございます。力の限り続けてまいります。

これからも、エマ通信をよろしくご愛読のほどお願い申し上げます。

     

      一灯照隅(いっとうしょうぐう) 

      万灯照国(ばんとうしょうこく)

                安岡正篤(1893ー1983)

ろうそくの火のごとく 小さな明かり。

微少な光だが、

それでも闇におおわれた 世界の一隅を照らし出す。

希望はなにごとも その極小からはじまる。

万燈照国 と続く。

その微少な光も万集まれば

国をも照らし出すことができる。

             (藤原新也 記)

   

こんばんわ。マスターです。

今日は、エマのお水について。

エマのお水は、まろみ豊かな天然サンゴのミネラル水!

エマのお水は、口当たりが良くて、まろみがあって、

甘いとよく言われます。

実は、その美味しさの秘密は、沖縄の天然化石サンゴにあります。

エマでは、飲食に供するお水は全て、この化石サンゴで浄化した

ミネラル水を使っています。

元来サンゴは浄化力に優れた素材で、大概の浄水器のフィルターに

コーラルの名称で使用されています。

サンゴの表面には、微細な穴が無数にあいており(多孔質といいます)

その穴で不純物、特に重金属類を吸着し、水を浄化しているのです。

しかもサンゴ自体が約70種類ものミネラル成分で構成されているため、

水道水が良質のミネラル水へと変身するわけです。

また北里大学での臨床実験で、

「化石サンゴには、抗菌、静菌、抗酸化の3作用がある」

との結果も出ました。

確かに、化石サンゴを浸した水はほぼ劣化(腐敗)がありません。

長寿の那、沖縄からの偉大なる恵み、それが天然化石サンゴ水!です。

中でも笑間では、与那国島産の隆起サンゴを使っていますが、

地質年代的に一番ミネラル水を作るのに適しているサンゴと

いわれています。

今日もマスターです。

当店の屋号「笑間」の由来について

質問を受けることがあります。

これは、マスターの名前「エキカツ」と

ママの名前「マサコ」のそれぞれの頭文字

「エ」と「マ」を単純にひっ付けて「エマ」としました。

そこへ、「笑顔のあふれる空間」との願いを込めて、

漢字の「笑」と「間」を当てました(ママのインスピレーション)。

改めて考えてみると、「笑」という文字には深い意味を感じます。

これを分解すると、「竹」+「天」となり、

さらに「竹」は、「ケ」+「ケ」で二本の木を表すと考えれば、

天の上にすっくと生える二本の木ということになります。

きっとこの二本は「人」を表わしており、それはまさに

男性と女性を象徴しているのではないでしょうか。

ここに、天国のひな型を観る思いがします。

いつも男女が笑顔で向きあうこと。

そのことこそがきっと、天国の要なのでしょう。

夫婦仲好きことは美しき哉。

そういえば、聖書の中に描かれているエデンの園の中央にも

二本の木が確かあったはず…

yaeyama land hearts 「島心(シマグクル)」

私共が喫茶店をやろうと思い立った時に

深く掘り下げて行った思いが『島心』という言葉でした。

この言葉は、

マスターの生まれ島である石垣島へと

向かう機上より、眼下に点在する南の島々を眺めながら

ふと思い至った感慨です。

それは、

「島は『孤』にして『弧』である」という思いです。

鹿児島県の薩摩半島から台湾まで、

大小様々な島の連なりからなる南西諸島。

その各々の島々は、海を隔ててまさに「孤島」として点在しています。

しかしながら、地質学的な時間軸で捉えた時、

それらの孤島も、かつては大陸と弓なりに、円弧状に連なる時代があった。

空の高みから島々を俯瞰した時、

そのことを実感として捉え直すことが出来ました。

ですから、「島は『孤』でありながら『弧』でもある」と。

であればこそ、

島はいつも繋がっていることを願い求める。

海を渡ってみたいし、海からの訪れを待ち望む。

故に、

島はおもてなしの心を忘れてはいけないし、

礼儀を尊重しなくてはいけない。

あるいは、

島は再生の場でもある。

来訪者の心を優しく迎えて包み込み、

再びの生きる糧を注ぎ得る源泉ともなろう。

何千何万何億年という時間の流れの中で

育まれてきた島であればこそ、

『孤』であることの苦を噛みしめ、内面を豊かにすることの

尊さを学んできたのだと思います。

ですからきっとこの島には、

その資質があふれているはず。

それが、yaeyama land hearts=島心(シマグクル)の想いです。

私共『笑間』では、

そんな『島心(シマグクル)』を源泉に

「おもてなしの心を形にしていきたい」と

考えています。

以下は、私達が石垣島で暮らしていた時に撮った写真です。

誰も知らないプライベートビーチ

21世紀幕開けの初日の出(自宅から観た風景)

玉取崎から平久保を望む風景

自家焙煎珈琲豆蔵さんのこと

マスターがコーヒー屋を志す一番のきっかけになった

言うなれば、心の師匠的なお店が、福井県の老舗喫茶店「豆蔵」さんです。

前職である牧場の仕事で大怪我をし、その治療のため一時住んでいた福井の地での出会いでした。

当時の日記に豆蔵さんの印象についてのメモが残っていましたので引用します。

≪全面シダーウッドに覆われたカナディアンロッジスタイルの趣ある建物。

屋号が丁寧に刻まれた鉄版地の看板が印象的な、木造りのシンプルなドアを引き開け店内へ。

褄型の高い天井に奥行きのある空間。

床は赤い花柄の柔らかな絨毯敷き。

左側カウンターがとても幅広で客と店との隔たりを感じさせない。

高い位置に据えられた大型スピーカーから舞い降りてくるかのような響きが心地よい。

店の奥には使い古された焙煎機。口の開いた麻袋からは黄緑色の生豆が覗く。

珈琲を大切に扱っている店主の心が感じ取れる店内の空気感。

入口壁の高みに目をやると、ステンドグラスからの木漏れ日。

なんとも癒された気分。

店主によって手際よく丁寧にドリップされた珈琲を一口飲む。

口当たりの良さと喉ごしの滑らかさ、それでいて存在感のある味わいに

店主の心根の優しさと情熱を感じ取る。

ひと時、店主と語らう…

ここの珈琲は店主の人柄そのもの。美味にして妙である。≫

何度か豆蔵さんに通いマスターと語らううちに、自分もこんなお店を是非とも

やってみたいと、その思いに灯がともったのでした。

人生、人と人との出会いの妙から新たな道筋が生まれるものですね。

『こちらが主体的な意識をもって懸命に他者と関わろうとする時

本当の意味での人生が動き出す』  by マスター

豆蔵さんへのアクセス

http://www.shokokai.or.jp/kirishima/18/182018S0045/index.htm

1月18日(火)

喫茶去の心

有名な禅語に「喫茶去(きっさこ)」という言葉があります。

「まぁまぁ、お茶でも一服どうぞ」というくらいの意味なのですが

これが禅語というだけあって、その世界観には深いものがあります。

喫茶店をやっていると、誰や彼やと色々な方が訪れて下さいます。

初めてのお客様、常連さま、様々な職種、風貌のかたetc…。

この世の中は、千差万別の個性豊かな人々であふれています。

そんなお一人おひとりとご縁をいただく場のひとつとして

私どもの喫茶店もございます。

さて、お客様をお迎えする立場として

こんな人は、あんな人は、とやはり人間ですから

より好みの心が生じるものです。

果たして、万人に対して変わらぬ心情で、変わらぬおもてなしを

ご提供するという、喫茶店の使命を存分に果たすことができるだろうか…。

喫茶店といえども、人としての心構えが

常に問われているわけです。

僕の好きな言葉に

「歩み入る者に安らぎを、去りゆく人にしあわせを」

というものがあります。

これは、とあるお座敷にかかげられていた言葉です。

この言葉のポイントは、歩み入る「者」が、去りゆく「人」にと

「者」から「人」へと変容するところにあると思います。

迎え入れた見ず知らずの「者」と、時間と空間をひと時共有し合ったあとに

親しみや愛おしさといった心情が芽生えるなら

おのずとその人の後ろ姿に手を合わせることが出来ると思います。

その瞬間、その「者」は互いにわたしにとってのかけがいのない「人」となる。

皆さんと時間と空間を共有する佳き場として

私共の喫茶店がその役割を果たせるようにと願う次第です。

喫茶去笑間として…。

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