Master's Voice

6月5日(火)

そもそも、若き日のマスターは(今も多少そうですが)、

生きる事に全く自信が持てない、超ネガティブなタイプの人間でした。

内省しすぎると言うのか、いつも劣等意識にさいなまれて、

人の目をまともに見てしゃべることが出来ない位、超内気な少年でした。

ですから、その時代のマスターのテーマは「無為自然」。

いかにすれば、等身大の自分を素直に生きることが出来るのか、

そんな事ばかり考えて、日々を悶々と過ごしておりました。

そんな風でしたから、異性とまともに向き合って話が出来るような

精神状態ではなかったし、実際、異性と交際したこともありませんでした。

そんな思春期の自分にいつも言い聞かせていた言葉が

「待たず、追わずの心持ち」というものでした。

待ち人が向こうから来てくれる事をひたすら待つでもなく、

必死のぱっちで追っかけ回すのでもなく、

そんなことは自然にゆだねておけば良い、という心持ちです。

自然界は全て、陰と陽のバランスで成り立っているのだから、

時が来れば、こんな自分にも必ずや良き伴侶が現れるはずと、

だから、その時までは、己を成長させる事に邁進すべしと、そう心に言い聞かせておりました。

そしてママと出会いました。

「妙縁」。そんな言葉があるかは知りませんが、ぼく達は、初恋にして

初愛同士の出会いでした。

 

 

 

 

【マスターの恋愛観、そして夫婦論】

“June Bride”。「六月の花嫁は、幸せになれる」とは、

ローマ神話に登場するジュピターの妻ジュノーが、

結婚生活の守護神である事に由来するそうです。

ここのところ、笑間とお付き合いの深い友人たちが、

立て続けに結婚して行きます。

先月は披露宴にご招待に与りましたし、

今月は今月で、ご入籍の方がおられます。

この先、他にも多数、ご結婚予定の方が控えていらっしゃいます。

不思議な位今、笑間は、ブライダルラッシュです。

 

お客様からよく「マスターとママは何でそんなに仲がいいのですか」と

質問を受けます。あるいは、「ママとマスターを見習いたい」とか、

「お二人は奇跡の夫婦ですね」とまで言われます(汗)。

まぁ、自分で言うのもなんですが、私たち夫婦は仲良しですねぇ。

結婚して既に13年、付きあっていた時代を含めれば、もう20年以上も

一緒に居ることになります。

仕事でもプライベートでも、四六時中顔を突き合わせていますが、

マスターは飽きることがないですね。もちろん、たまには喧嘩もしますが、

いつも楽しく寄り添いあっております(照)。

今回は、そんなマスターの独身時代の恋愛観を少々お話します。

 

明日につづく。

 

 

 

こんにちは!今日は、マスターの登場です。

たまには、珈琲のことをお話します。

ご存知の通り、コーヒーの木(アカネ科コフィア属)に花が咲いて、

実が稔り、果実(コーヒーチェリー)の中の種子の部分が珈琲豆です。

当然のことですが、珈琲豆は農産物であり、従って、生鮮食品です。

何が言いたいのかと云うと、珈琲豆には賞味期限があるというお話です。

一般に、スーパー等、小売店で販売されている珈琲豆のパッケージを見ると、

賞味期限が一年となっています。

日々、珈琲と接している立場からの見解を正直に申すならば、

珈琲が美味しく飲める期間は、

『豆の状態で保管して、約一ヶ月』、

『粉の状態なら、約一週間』。     

これが、限度です。

この期間を過ぎると、豆の酸化・劣化が進むため、

「胸やけがする」、「変に酸っぱい」、「身体に良くない」、

そんな珈琲になってしまいます。

よく聞くお客様の声として、「酸っぱい珈琲は、苦手」、と言うのがあります。

これは、酸味のある珈琲が苦手と言うよりも、

酸化の進んだ、劣悪な珈琲を飲んでしまっている可能性が高いと思われます。

生鮮食品である以上、どんなに素材が素晴らしかろうが、

焙煎技術が匠であろうが、

真空パックが施されていようが、

何ヶ月も経過してしまっていては、美味しくなりようがありません。

『珈琲は、一ヶ月しか美味しく飲めない』、

という事実は、残念ながら、一般の人にはほとんど知られていません。

この事実がもし、メディア等で世間一般に広まることになれば、

当然、スーパーや小売店では、珈琲豆は扱いにくくなってしまいます。

ですから、大手メーカーは、この事実を出来るだけ隠そうとするわけです。

昨今、珈琲の健康効果が、広く知れ渡ってきました。

しかし、それは、あくまでも、新鮮な珈琲豆であることが大前提です。

いくら素材が良くても、腐ったものを口に入れてしまっては、毒にしかなりません。

再度、繰り返しますが、「珈琲は、生鮮食品です」。

そして、美味しく飲める期間は、せいぜい、一ヶ月なのです。

 

 

 

 

 

 

 

4月2日(月)

喫茶文化を継承する門真元町の純喫茶、エマコーヒー発行のアナログ新聞、エマ通信

【4月13日は喫茶店の日】

世の中は、毎日が記念日であふれていますが、

ご多分に洩れず「喫茶店の日」なんてのもちゃんとあるのです。

時は、1888年(明治21年)4月13日。

東京、上野に日本初の喫茶店。

その名も「可否茶館」なる店がオープンしたと、

当時の読売新聞に開業案内広告が掲載されているのを根拠に、

この4月13日が日本で初めて喫茶店が出来た日として、

公式に認定されているようです。なんでも、1階がビリヤード場、

2階が喫茶室という洋館で、当時、1杯2銭の牛乳よりも安い1銭5厘で

可否(コーヒー)が提供されていたということです。

この店は、文化サロンとして、当時のハイカラな人々が集まったようですが、

わずか5年で閉店してしまいました。

ところで、可否茶館開店を遡ること10年前の明治11年12月26日付け

読売新聞に、「焦製飲料コフィー、弊店にて御飲用あるいは粉にしてお求め云々…」

との広告があるらしく、これが事実なら、記録上確認可能な最初の喫茶店は、

実は、「可否茶館」ではないことになります。

この最初のコフィー広告を出した店が、神戸の元町で今も営業なさってる、

茶商「放香堂」さんだということです。

 

コーヒーの輸入が始まった時期についての明確な記録は残っていないらしく、

しかし、少なくとも、江戸の元禄(1688ー1703)の頃には飲まれていたらしい。

きっと最初は、日本人の口にはさぞかし苦々しくて顔を歪める代物であったことでしょう。

本格的な普及は、文明開化以降、続々とやってきた欧米人の増加にともない、

次第に日本人にも広まっていったというのが実状です。

はてさて、いにしえの可否のお味やいかに…。

その当時の焙煎や抽出技術、その方法論の違い、

又、珈琲豆が備え持つ種の力そのものの時代的違いにより、

その時の可否がどんな味わいであったのか、知りようがないだけに、興味はつのります。

そこで、イエメン産出の珈琲「モカマタリ」に、

いにしえの面影を尋ねてみようと思います。

 

昔、イエメンのモカ港から積み出された珈琲豆を総称してモカコーヒーと呼んだことから、

今もエチオピアとイエメン産の珈琲豆は、「モカ」という名称で親しまれています。

中でも、今回マスターが入荷した「モカマタリ バニマタル」は、

イエメン産の最高級品として取引されています。

イエメンには、珈琲発祥の地、エチオピアから7世紀に持ち込まれ、

以来、品種改良されることもなく、

昔ながらの自然農法で今なお栽培され続けているという、

生粋の在来種がこのモカマタリなのです。

ですから、味わいはかなり個性的なものです。

香りも独特で、熟成がすすんだフルーツジュースを連想させます。

昔、アラブの偉いお坊さんが妖術に使ったことがうなづけます(笑)。

本当は、煮出し珈琲にした方が、いにしえの珈琲っぽい味わいが楽しめるかも…。

 

で、今回は特別

喫茶店の日特別企画として

4月13日(金)に限り

このモカマタリを1杯400円(通常1杯600円)にてご提供致します。

 

モカマタリは無農薬、手摘み、

アンウォシュドもさることながら、

いまだに石臼で脱穀されています。

 

 

【新年、あけましておめでとうございます】

2012年1月1日は、

2+0+1+2+1+1=7、ということで、

今年でエマは、創業7周年を迎えます。

時の移ろいは足早で、しかも年齢を重ねる程に

その速度は早まってゆきます。

子供の頃は、一年がもっと長く感じられたのに…。

大人になるにつれ、時間の経過が足早に感じられる、

この時間感覚の原因は一体何なのか?考えてみました。

 

まずひとつは、体内代謝に起因しているのではないでしょうか。

例えば、成長期にある子供を見た時、一日で身長が数センチも伸びたりと、

体内での生命サイクルが活発に活動していることがわかります。

すなわち、体内での新陳代謝速度がすさまじく早い。

この新陳速度を私の体内時計の針に見立てたとすれば、

一年の間に恐ろしく針が進むことになります。

ところが、成長して加齢するにつれ、この代謝速度は確実に遅くなってゆきます。

すなわち、自己の体内時計の針の進み具合はゆるやかとなります。

したがって、この体内時計の感覚からすれば、

若い時はこんなに身体は変化したのにまだ一年しか経っていないのかと感じるのに対して、

老いるにつれ、たったこれきりしか身体を使ってないのにもう一年も経ってしまった、

と感じるのではないでしょうか。

 

あるいは、実生活面においても、若い時分は気力体力ともあり余っているので、

一つの仕事を仕上げるのにそんなに時間を必要としませんが、

老いるにつれ、ひとつの仕事を仕上げるのに必要以上に時間がかかるようになります。

かつては、一日あれば相当の仕事量をこなしていたのに、

今ではひとつの仕事を仕上げた時にはもう夕暮れ、なんてことになる。

 

要は、代謝の面でも実生活においても、

実際の時間の経過に対して、自分の生命活動の速度がついていけなくなってくるという、

この日々容赦なく進む時間に対して、自分が取り残されていく感覚、

それが、大人になるにつれて時間を足早に感じるようになる原因なのではないでしょうか。

 

一番簡素化した例を挙げるなら、

人は眠っている時間が長い程、

時間の経過を早く感じ(一瞬にして夜は明ける)、

起きている時間が長いほど、

時間を長く感じる(寝つけぬ夜の時間の長いこと)

ということです。

 

ただそうは言っても、経過した年月をふり返る時、人は必ず、

あっという間の年月であったという、共通の感慨を持つものです。

問題は、そこに満ち足りた思いがあるのかどうか。

    手応えのある人生だったか、

    感謝できる人生だったか、

    愛のある人生だったか、

その充足感がある時、人は時間の呪縛から解放されるのだと思います。

私に与えられた時間は有限なものであるけれど、

今日という日をいかに意味あるものとして、

丁寧に生きてゆけるのか、そのことが一番大切だと思うのです。

以上、

一年の出発に際してのマスターの「時間考」でした。

 

さて、今年は壬辰(みずのえたつ)年です。

「壬」は、海洋や大河の水を象徴し、字は草木の内部に種子が生まれた状態を表します。

「辰」は、草木が旺盛に成長し形が整った状態を表すそうです。

今年は水流を得て、広い世界へと漕ぎ出す年でしょうか。

 

エマ通信 No43 2012年新年号 巻頭言より

 

 

笑間通12月号(創刊42号)より、お手許でご覧いただけない方に向けて、一部、掲載致します。

 

『初めてのテレビ出演』

先月11月は、皆様のお陰をもちまして、無事開店6周年を迎えることが出来たエマコーヒーです。

そしてこの度の6周年は、絶妙なタイミングで初めてのテレビ出演を果たすというおまけも付きました。先月15日(火)放送の 映像の旅番組『ココイロ』(朝日放送)は、ご覧いただけましたでしょうか。映像にしてわずか2分足らずでしたが、エマのエキスが凝縮された中身だったと、マスターは感激しております。収録はもちろん事前に済ませたわけですが、スタッフの皆さまには、とても真摯なお仕事をしていただきました。番組冒頭に流れたエマの外観のシーンは、店の前のあの狭い道に、わざわざレールを敷き、ハリウッド映画さながらのカメラ撮りがなされました。また、焙煎やドリップ、その他のシーンでも、ライティングに細心の注意を払いつつ、熱意を感じる撮影をしていただきました。お昼の2時から始まった収録でしたが、結局終了したのが夜の7時と、みっちり5時間かけての収録となりました。

番組後尾の「今日のココイロ」で紹介されたエマのブレンドコーヒー4種の映像には、とても凝った演出が施されておりました。あけぼのブレンドには朝日が射しているような、お天道さまブレンドには力強い光のライティングが、おかげさまブレンドの時にはカップの上にお月さまが優しく浮かんでいたり、また、お星さまブレンドでは一番星が珈琲の上に映し出されていたりと、4種4様に粋な計らいがなされておりました。さすが、映像の旅番組と銘打つだけあって、手を抜かないお仕事振りに感服です。

番組を見過ごされた方、あるいは再度ご覧になりたい方は、エマのカウンターに置いてあるデジタルフォトフレームでご覧頂くことが出来ますよ。お気軽にお声掛け下さいませ。

 

『6数の符号』

今回の6周年ですが、特別意識したわけだはないのに、不思議と「6」数が引き寄せられてきました。例えば、たまたま6周年のタイミングで放送された「ココイロ」ですが、今回の放送分で丁度600回目だったそうです。また、エマ6周年目の「ありがとうの日」は、本来なら11月10日だったのですが、今回はたまたま定休日の木曜日と重なったため、翌日の11日とさせていただきました。そのため、今回の記念日は、2011年11月11日と、すなわち、「1」数が6個ならんで、やはり「6」数となりました。この「6」数の符号は一体何を意味しているのだろうと思い巡らせていたところ、僧侶のお客様から、「6は弥勒の6。弥勒様の祝福だわ。」と教えていただきました。また、クリスチャンのお客様からは、「神様は6日目に人をお造りになったのよね。だから、6数は神の祝福数なのよ」と教えていただきました。ということは、「笑間」という空間は神仏の宿る祝福された場になるのね…と、おののきつつも、ありがたいことと、思わず手を合わせております。また、別のお客様からは、「6は無と読む。無は零のこと。初心に帰って再出発!」と諭されました。

いずれにせよ、今回は「お店を継続してきて良かった」と心底思える、恵み盛りだくさんの6周年でした。

ちなみに、「日本人、数のしきたり」(飯倉晴武編著・青春出版社)によると、「6は、2が3つにわけられ、2と4にも分けられる。また、3と3、1と5という奇数に分けることもできることから、安定した数と考えられている」とありました。笑間もようやく安定した土台が整ったということでしょうか。さて、次は7周年に向けてさらなるステップアップを!!

 

 

 

11月10日(木)

皆さまの日頃のご愛顧に感謝するばかりです。

これからも笑間の目指すところは、『笑顔のあふれる美空間』のご提供です。

この空間を通じて、安らいでいただいたり、

分かち合いを高めあっていただいたりのお手伝いができれば幸いです、

『おもてなしの心を形に』、そのための工夫にこれからも精一杯取り組んで参ります。

今後ともよろしくお引き立ての程、お願い申し上げます。

ありがとうございます。

 

6周年出血大サービス

題して『おめでたい二人』

 

自家焙煎珈琲 笑間

エマコーヒー焙煎士 仲大盛 昜力

10月21日(金)

今月のエマ通信をお手に取っておられない方の為に

マスターの巻頭言を掲載いたします。

 

≪生きる意味を考える フランクル博士からのメッセージ≫

20世紀の世界的名著「夜と霧」で有名な精神科医であり、

心理学者でもあるヴィクトールフランクル博士(1905ー1997)の

分析によると、「人間の根本意志は、意味への意志である」とのこと。

人は心の本質において、常に意味のある人生、価値ある人生をおくりたいと

願い求めている存在であると。―御意。

博士は続けて、では「人生の価値とは何ぞや」という問いに対して、

それには三つの領域があると述べています。

一つ目は「創造の価値」。

二つ目が「体験の価値」。

三つ目が「態度の価値」なのだそうです。

創造の価値とは文字通り、物を作りだす喜びの事です。

心に湧き上がる思いを具象化する作業には、生みの苦しみも伴いますが、

完成した暁には、無上の喜びが私の心を満たします。

体験の価値も文字通り、自然美との邂逅や芸術鑑賞、心楽しき人々との交流等、

日々かかわる出来事に価値を見いだす努力です。

態度の価値とは、たとえ創造や体験の価値を奪われたとしても、

私の魂は決して奪うことは出来ないという、私の心の自由性とでもいうのでしょうか。

例えば、病に伏して寝たきりになったとしても、見舞いに訪れた友に対して、

笑顔を絶やさず、心配をかけまいと態度をもってねぎらう、どんなネガティブな状況下でも

ポジティブな態度を失わない気高き精神性に見い出す価値です。

それらの価値観を基本に人生を歩む努力をする時、人生の問いへのコペルニクス的

転換が訪れると博士は説きます。

すなわち、「生きる意味は探すものではなく、私の人生が問いかけてくるものなのです」と。

 

フランクル博士のことを調べていてマスターが感じることは「正に今」、

「正にここ」に在る「私」とは、この宇宙の場で、絶対的領域を占める、

かけがえのない存在であるという、人間一人一人が持つ絶対的価値性への気付きです。

そしてその価値性は、物心がつく前にすでに人生の方から私に

付与されているものなんだという確信です。

ですから、私が人生に期待するのではなく、

人生の方から期待されている私であることをかみ締めて、

味わい深い人生を歩みたいものです。

 

 

 

 

10月14日(金)
こんばんわ。久しぶりにマスターです。
このブログが始まってから、
mixiでの日記更新はご無沙汰になっていますが
久しぶりにmixiを開いて、過去の日記を辿りつつ
こんなこともあったなと懐かしく読みふけってしまいました。
来月で笑間は、まる6年を迎えようとしています。
その中でも
僕の一番好きな愛妻日記がありましたので
今日はその内容を載せたいと思います。
(2006年6月15日より)
雨の日はなぜかボーカルの楽曲を選んでしまう
雨降る日、それも今日のように
しとしと降る雨は
人の声がなぜか心のどこかにひっかかる
思い出にひたる感覚で
懐かしさにつつまれる…
『どうしてかな』
豆を選別するテーブルの横に縦て長の窓がある
店のBGMを聴きながら窓の外を眺めると
店先の梅の葉が雨だれに打たれ、
ふるふるとゆれている
野口雨情という名前は
雨の情(なさけ)と書いている
あらためて素敵だ。などと思う
あぁ、そういえば石垣島に居た頃
情(なさけ)は大事どぉ
島には情(なさけ)がある
人間、情(なさけ)を忘れては決してだめどぉ
といつもいつも云われていたなぁ
あぁ、それから島での牧場生活
雨に打たれた牛達は可哀想だった
雨の降る寒い日は子牛の死ぬことが多かった
さびしそうな牛の瞳を見つめ
涙ぐんだ雨の日を思い出す

ひとつのセンテンスから次々
いくつもの記憶の扉が開いていく

雨だれの音は脳のどこかを刺激して
心の扉も開いてくれるのだろうか

雨だれの打つリズムを快く感じながら
豆の選別に戻りましょう

お豆さん、遠い国から
我が店へようこそ、ありがとう

雨の日も悪くない

 

 

こんばんは、マスターです。

知っての通り、音楽好きのマスターにおきましては、

やはり音楽を聴くときには、より美音に再生されるよう、

音響にはこだわりを持ちたいと願っております。

電子音ばやりの昨今ですが、マスターが感じる最高の音、

それは、やはりアナログでの再生音です。

お店でもたまに掛けますが、CDよりもレコード盤やカセットテープのほうが、

断然、ノイズがあったとしても、美音に感じとれるのです。

音の奥行きや、輪郭に、心地よいうねりを感じます。

デジタルは確かに便利ですが、所詮はぶつ切りの

都合の良いごまかしの編集音なのであって、

連続性に裏付けされた滑らかさが醸すアナログの音には

かなうはずがないのです。

しかし、アナログ音を再生するのにこだわりだせば、

これはもうきりがない程の散財が必要です。

そこでマスターとしては、最低限、アンプ位は真空管にしたいものだと

目論んでおりました。

まぁしかし、常日頃小遣いを持たないマスターにとって、

真空管アンプは高嶺の花。どうしたものかと思い悩んでおりましたところ、

やっぱりすごい、思いは必ず実現する!

なんとエマのお客様(Mr.T)が、手作りして下さいましたのですよ、真空管アンプを!!

もともとアマチュア無線の知識と技術に秀でた方で、

その技能をベースに、図面から書き起こして組みあげた

完全オリジナルのアンプなのです。

構想から約一年半、本日ついに完成いたしました。

とはいうものの、音を出すのは今日が初めてということで

果たして本当に音が鳴るのか、音質はどうなのか、

電源をいれたとたんに、とんでもないことがもしや…。

いらぬことを心配し、緊張もいたしましたが、杞憂におわりました。

大成功でした。素晴らしい再生音です。

期待以上の結果です。

マスターとT氏は抱き合って喜びました。

完全オリジナル手作り真空管アンプ、明日から早速お披露目いたします。

Tさんすごいよ!本当にありがとう!!